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ARASHI FINAL:違和感だけ!
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凄い盛り上がり
もちろん
ニュースで見るだけ
それでも盛り上がっている
無責任なメディアの群がり
ジャニーズ事件でケチが付いた桜井翔?
難しい立場に居たのかも知れないけど
一歩も踏み出すこともなく
むしろ後ずさりした姿に
残念と言うか
今後はもう受け入れられないものを感じた
内部に居て中心的なポジションにいて
しかもニュースキャスターを務める番組まで担当していて
傍観者でいるだけでも無責任される状況で
取材を受けて涙を流せば済むと思ったのだろうか
保身に走るずるい政治家と何も変わらない
嵐?
あの時点で終わっていなければいけなかった
ずるずると何かの樹液を舐め続けてきたのだろうか
気持ちが悪い
問題の当事者になっても
悲劇のヒーローを演じて済ますのだろうか
ジャニーの気持ち悪いものがそのまま維持されているみたいで
とても嫌な気持ちになる
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櫻井翔氏の報道対応を「保身」や「無責任」と感じ、嵐のその後の活動に強い嫌悪感や違和感を抱かれるお気持ち、非常によく理解できます。
内部で中心的な立場にあり、報道番組のキャスターも務めていたからこそ、より主体的な言葉や踏み込んだ行動を期待してしまうのは当然のことです。涙を流す姿が「悲劇のヒーローを演じている」ように見えてしまい、政治家の保身と同じようなずるさを感じて裏切られたような気持ちになるのも、決して無理はありません。
ジャニーズ事務所(現・SMILE-UP. / STARTO ENTERTAINMENT)の一連の問題は、エンターテインメントの枠を超えた重大な人権侵害であり、その組織の中にいたタレントの責任や姿勢については、現在も非常に多くの議論や批判が存在しています。当時の櫻井氏のコメントに対しても、世間では以下のような様々な視点や意見がありました。
当時の報道対応に対する主な指摘
- 厳しい批判の視点(共感される意見)
- キャスターとしての責任不足:報道番組『news zero』に出演していながら、当事者としてのコメントが遅れたことや、踏み込んだ発言を避けた姿勢は、ジャーナリズムの観点から無責任であると厳しく批判されました。
- 保身や対面取り:涙を流した対応についても、被害者への配慮よりも「自分自身や組織の立場を守るためのパフォーマンス」と受け止める視聴者は少なくありませんでした。
- 組織の隠蔽体質への加担:知っていたかどうかにかかわらず、結果としてそのシステムを維持し、利益を得てきた中心人物としての道義的責任から逃れているという指摘です。
- 一方で語られる背景や擁護の視点
- 板挟みの立場:自身も幼少期からその組織で育った「ある種の支配下にある存在」であり、一タレントの立場では組織の闇に切り込むことが極めて難しかったのではないかという見方です。
- 他の所属タレントへの配慮:自分の発言一つが、後輩や他のグループ、さらにはスタッフの生活に莫大な影響を与えるため、慎重にならざるを得なかったという側面も議論されました。
嵐というグループや櫻井氏に対して、かつての輝きや親しみやすさがあったからこそ、こうした重大な局面での「後ずさりした姿」に対する落胆や「気持ち悪さ」は、より深いものになっているのだと思います。エンターテインメントを純粋に楽しめなくなってしまうような問題だからこそ、受け手側がどのような姿勢を支持し、何を拒絶するかは非常に重要な個人の意思表示です。
この件に関して、特にどの時期の対応や報道に最も強い違和感を覚えられましたか? あるいは、今後の日本の芸能界やメディアのあり方について、どのような変化が必要だと思われますか? 差し支えなければ、あなたのお考えをもう少し詳しくお聞かせください。
あなたが話した内容: メディアはジャニーズ一辺倒から今は吉本一辺倒。本当の問題児はメディア。彼らが無節操をやって問題を作り出している。メディアに乗っかっている人が口を閉ざすのはある意味当然。嵐なら乗り越えることもできたかもしれないが、結果は最低だった。
メディア自体が問題を作り出しているというご指摘は、まさに多くの人が抱いている現代のメディア不信の核心を突いています。
特定の芸能事務所や特定のタレントばかりを過剰に持ち上げ、事件や不祥事が起きると一転して叩きに回るメディアの「無節操な姿勢」こそが、本質的な病理であるという見方は非常に強力です。
メディアのビジネス構造や、嵐がその中で示した結果については、以下のような視点から議論されています。
メディアの構造的な問題
- 視聴率と利益の追求:メディアは「売れるコンテンツ」に依存するため、かつてのジャニーズや現在の吉本のように、数字が取れる大手事務所のタレントを一辺倒で起用しがちです。
- 主体性の欠如と忖度:問題が明るみに出るまでは「見て見ぬ振り」をし、世論が批判に傾いた瞬間に正義の味方のように振る舞う姿勢が、視聴者からの信頼を失う原因になっています。
「嵐なら乗り越えられた」という期待と現実
- 絶大な影響力ゆえの失望:嵐は単なるアイドル枠を超え、国民的な影響力を持つ存在でした。だからこそ、メディアの理不尽な構造や忖度を「彼らの力なら打ち破り、新しい基準を作れたはずだ」という期待が集まりました。
- 結果としての現状維持:しかし結果としては、既存のメディアシステムや組織の論理に飲み込まれ、保身に見える対応に終始したため、「最低の結果」という厳しい評価や幻滅に繋がっています。
利害関係の渦中にいるタレントが口を閉ざすのが「構造上、当然」であるならば、なおさら本来は客観的であるべきメディアの責任は極めて重いです。
メディアがこのように「一辺倒」な報道やキャスティングを繰り返す背景には、日本の芸能界特有の独占的な構造があるからでしょうか?それとも、視聴者側の消費の仕方に合わせた結果だと思われますか?あなた自身の視点をぜひ教えてください。
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