麻生太郎の「民度」発言に噛みつくのは非生産的


  • 民度

 

新型コロナウイルス感染症と「民度」 の話は麻生太郎が日本の自慢話のように披露して、喝さいを浴びたのか、顰蹙を買ったのか、よく分からないが、日ごろ使う機会の少ない「民度」という言葉に古臭さを感じた人もいるだろう。


民度とは何か、ユニークな視点で解説している記事が流れてきたが、内容は十分納得できるものではあるものの、何かしら詰まらない。

 

因みに、民度はどのように英訳されているか(「民度」の英訳)を見ると、実は様々でぴったり来るものがない。というか、むしろ麻生太郎の言語明瞭意味不明 の1つで恐らく本人すら正しい理解には至っていないだろう。


COVID-19による死亡者の数が今のところアジアの国々では欧米に比べて極端に少ない理由はよく分からないため、山中伸弥はファクターXで済ましていたものだ。

 

麻生太郎は日本固有の要素を強調したかっただろうが、ほかのアジア国の死亡率は日本よりさらに低い。だから、死亡率が極端に低いベトナムは、日本より更に民度が高いと麻生太郎は思っているのかも知れない。

 

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記事の池田清彦は従順=民度は間違いで、自立=民度が本来ではないかと主張しているように見える。

 

民度論議(定義など)はどうでもいいことだが、自分で考えて自分で行動することの大切さについては何の疑問もない。 


ただ、経験のない問題については、勝手に考えて勝手に行動することの是非は残る。だから、このような新しいタイプの感染症は始末が悪いのだ。その一方で、前例に沿う頭しかない官僚にも手に負えないものだから始末が悪い。

 

今回COVID-19は、しっかり考えて正しい方向を提示すべき専門家とされた連中の無能が最大の問題だ。彼らは議事録の公表すら拒否する無責任・無能力を露呈させて尚無反省なのだ。 政治システムの欠陥を認めて改革に動く気配は何もない。

 

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記事写真の麻生太郎の顔にはマスクがない。小さなフェイスシールド(マウスシールドと言うらしい)で済ましているが感染症対策に対する効果は殆ど期待できないものだ。 麻生太郎の民度は相当低いようだし、こいつを担ぐ人たちの民度はさらに低いのかな?。

 

自粛期間中にパーティを開く自民党の政治家や、 私は関係ないと花見や旅行に出かける某総理夫人とかの民度も怪しいものだ。

 

しかし、池田清彦によればこの身勝手な連中の民度は高いことになるのかな。


民度論議はあまり生産的では無さそうだ。


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本来、民度とは、為政者が法治国家実現のために必要と考えた教育水準のことだ。西欧列強に伍する文化科学技術を獲得するための要件として理解していたものだ。小資源の日本では人は国家なり!かな?。


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https://president.jp/articles/-/38353

2020/08/29 9:00

「コロナ死者が少ない日本は民度が高い」といった麻生太郎氏に日本人は怒るべきだ 「コントロールしやすい」と同じ意味

PRESIDENT Online

    池田 清彦
    早稲田大学名誉教授


日本は「民度」が高いから新型コロナの死者が少ない、他国は民度が低いから死者が多い。国会で麻生太郎財務相がこう発言し、物議をかもした。生物学者で早稲田大学名誉教授の池田清彦氏は「政治家の言う民度の高い国民とは、自分たちの言うことをおとなしく聞く国民を指している。それでいいのか」という——。

※本稿は、池田清彦『自粛バカ』(宝島社)の一部を再編集したものです。

 


 閣議に臨む安倍晋三首相(左)と麻生太郎副総理兼財務相=2020年8月4日、首相官邸


麻生財務相「おたくとうちの国とは国民の民度のレベルが違う」発言


日本のコロナの死亡者数がアメリカやヨーロッパより少ないことについて、財務大臣の麻生太郎がこんなバカなことを言っていた。

「『コロナの死者数が多い国から何か特別な治療薬でもあるのか』とよく電話がかかってきたが、『おたくとうちの国とは国民の民度のレベルが違う』って言ってやるとみんな絶句して黙る」

マスコミで取り上げられたのはこの6月4日の参院財政金融委員会の発言だが、毎日新聞によると、実は2カ月前(4月6日)の参院決算委員会でも「アメリカやら何やらに比べりゃ、はるかに日本の自粛のほうが効果ありますからね。アメリカ人に対して『俺たちは民度が高いからだ』と言ったら笑っていましたけれど」と述べていたという。

麻生太郎は、政府の言うことを聞かないやつばかりの国は民度が低い、お前らの国は国民がちっとも言うこと聞かないじゃないか、だから感染が拡大するんだと言いたいわけだ。


自分たち(政府)の言うことをおとなしく聞く国民ということ?


しかし、政府の言うことを聞かないというのは、自分の頭で判断して行動しているわけだから、それは自立性が高いということで、むしろ民度が高いのだ。

ところが、麻生に限らず、政治家の言う民度の高い国民とは、自分たちの言うことをおとなしく聞く国民を指している。つまり、コントロールが利く国民=国民の民度が高い、ということだ。学校で先生の言うことをよく聞く優等生は民度が高く、反抗ばかりしている不良は民度が低いと言いたいわけだ。

しかし、反抗したり学校をサボったりする生徒は民度が低いのか。反抗的な生徒は自分で判断して学校をサボり、教師の言うことを聞かないわけだから、自分の頭で考えている分だけ民度は高いと思う。

たとえば、遊牧民のマサイ族は、自国も国境もなく、そういうなかで勝手に生きている。自分たちの力だけで全部やり、自立して生きている。民度が低いなんて言われたらマサイ族は怒るよな。民度が高いに決まっている。

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https://president.jp/articles/-/38353?page=2

2020/08/29 9:00

「コロナ死者が少ない日本は民度が高い」といった麻生太郎氏に日本人は怒るべきだ 「コントロールしやすい」と同じ意味

PRESIDENT Online

    池田 清彦
    早稲田大学名誉教授


本当に日本人の民度は高いと言えるのか?


一方、現代人、とくに日本人は、自分の頭で考えることができず、自分の力だけでは生きていけない。正確に言えば、本当は自分の力で生きていけるかもしれないが、自分で生きていけないようなところに追い込まれていったのだ。

昔の人は、自分で井戸を掘って、野菜をつくり、ニワトリを飼って、それでなんとか生きていけた。当然、地震や豪雨とかの自然災害が起きたら困るけれど、村人や近隣の人が総出で新しい井戸を掘り、それでうまく掘れたら「やった!」とみんなで喜ぶ。

そうやって地域が協力して生きていた。こうした生活では村八分がいちばん怖く、村八分にされると自分の家の屋根の藁も葺けなくなってしまう。生き死にに関係した。現在は村八分にされても金さえあればまったく困らない。そのほうが面倒な人間関係がなくてありがたいという人もたくさんいる、自己家畜化から脱するために日本の村落共同体の伝統は、共同体が自立するためには、個々人が一人で自活するのは大変だから、少数のグループをつくって困ったときは相互扶助しようというものだった。

そういう伝統が戦後しばらくは日本にもあった。私の家も小学生ぐらいまでは貧乏で、うちだけじゃなく周りもみんな貧乏だから、夕飯時に「あ、醤油がない」となったら隣から醤油を借りる。「すみません、醤油切れちゃったんでちょっと貸してくれませんか」と醤油の瓶ごと借りてくると、チョチョチョンってかけて「すみません、ありがとうございます」って返してくる。


電話は地主さんの家にしかなく、誰かからかかってくると、「池田さん、電話だよ」なんて呼びに来てくれて、こっちは「すみません」と飛んでいく。地域社会では何かあったらここへ電話して呼び出してくれという扶助システムがあり、地主さんもそういう電話の取り次ぎが半分義務みたいになっており、それで何も問題がなかった。

相互扶助が嫌だという人もいるけれど、そういうシステムにしなければ生活できなかったんだよ。現在でも若い世代で限界集落に移り住み、物々交換のような相互扶助生活を送っている人たちがいる。

それは権力にとって恐ろしいことなので、なるべくなんらかの大義名分によって国民の自立を阻止しようとする。たとえば、政府がやっている地域再生制度というのは特産物の開発や観光促進などで、結局は拝金主義なんだ。お金を呼び込むためにやっている。

そんなやり方では家畜から抜け出せない。現金がなくても生きていけるから自立であって、だからこそ革命的なんだよ。


「お金を稼ぐこと=自立」脱自己家畜化できぬ日本人は絶望的に民度低い


自己家畜化を脱するためには自分たちの力で生活していけるシステムを小さな集団でつくるのがいちばんいいのだけれど、多くの人はお金を稼ぐことが自立だと思っている。それでは自己家畜化から脱することはできない。そういう意味では、もう絶望的に民度が低い。

けれども、政治家側に立てばこんなにコントロールしやすい国もほかにない。法律で決めたわけではないのに、みんな政府の言うことに唯々諾々と従い、(コロナ)自粛期間中は大半の人が出歩かなかった。私自身は歳だから出歩かなかったけれど、様々な事情で出かけなければならない人もいる。しかし、出歩くのがよくないという風が吹いてきた途端に、みんなでバッシングするのだから、本当に情けない国だと思うよ。


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アベノマスクより小さい麻生太郎のフェイスシールド

  

アベノマスクより小さい麻生太郎のフェイスシールド

防疫従事者を馬鹿にする行為だ

|注意|

これはマウスシールド。予防効果は希薄。国民に誤解を与える行為だが、その後も是正していない。


麻生太郎のやんちゃジジイ(爺・じじい)振りは止まることを知らず絶好調のようで、今度は、超ミニサイズのフェイスシールド。格好いいと思う人もいれば馬鹿に見えるという人もいるだろう。

自分勝手、わがまま、他人への迷惑など何も考えない。そういう育ち方をしたんだろう。見てる世界も普通の人のものと全く別だろうめ。好き嫌いはお互い様。


 

これはマウスシールドと呼ぶものらしい。感染防止に対す効果は殆ど期待できない。なぜ、効果のない マウスシールドで済ませるかは、馬鹿馬鹿しい彼の美観の問題かもしれない。彼のスタイルなのだ。

 

自分は感染の伝播の中に居ないからどんなマスクでも関係ないと思っているんだろう。

 

真面目に防疫に取り組んでいる人たちをからかっているようにも見える。お前ら騒ぎ過ぎ、大袈裟なんだよと。実際にもこれが本音だろう。


もっとやばい疑いもある。

 

高齢者の無防備を誘っている。高齢者が死なないからもっと感染してくれないと困るのだろう。80歳の爺でもこの通りだと見せつけているのかな。

 

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しかし、しかし、麻生太郎の目下の関心事はそれどころではない。

 

麻生太郎の傀儡政権・閣内院政が安倍晋三の辞任で崩れそうだからだ。


自分御の強い影響を受ける人を次の総理に据えるのが、最大重要緊急の課題だからだ。


  1. 党員投票は回避する。党員投票で選ばれた人物なら麻生太郎の影響を受けずに済む。
  2. 自派の河野太郎はチャンス(勝ち目)が見えるまでは担がない。下手をすると借りを作りかねない。
  3. 田中角栄の手法をまねるだろう。他派閥の中からコントロールできる人物をピックアップして椅子に座らせる。
  4. 麻生太郎一人では角栄ほどの力はない。だから他のパワーゲーム政治家と連合することになる。集団指導体制だ。その中に入っている必要がある。出過ぎるとはじかれてしまうから。
  5. 超妥協的な政権になるのは必至。醜い自民党の顔が見えてくるだろう。
  6. 1年後の改選にターゲットを変える連中もいるに違いない。

 

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野党に自民党の対抗馬がいないように、安倍晋三の後釜もいない。安倍晋三の8年間で、誰も育たなかった。育ったのは、官僚による忖度政治。忖度と言えば聞こえはいいが、勝手な暴走政治。

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https://news.yahoo.co.jp/articles/123e0a6f9bfbad37ccd14e0d51b64c964334d4de


田崎史郎氏、麻生太郎副総理のシールドに「半分だけ?」と疑問…北村義浩教授「効果はないと言われている」


8/18(火) 13:59配信

スポーツ報知

田崎史郎氏

 18日放送のTBS系「ひるおび!」(月~金曜・前10時25分)では、新型コロナウイルスの感染再拡大の中、安倍晋三首相(65)が都内の病院で日帰りの検査と受けたこと、それについて麻生太郎副総理(79)が記者の取材に答える様子を伝えた。

 政治ジャーナリストの田崎史郎氏(70)は、麻生副総理が口元だけを透明なアクリル板でガードする、いわゆる「マウスシールド」を付けていたことに注目。「フェースガード、半分だけなんですか?」と疑問を投げかけた。これに、夏休み中のMC・恵俊彰(55)に代わって番組を進行する八代英輝弁護士(56)が「あれはよく調理にたずさわる方がしてるタイプですね。麻生さんご自慢のフェースシールドだと思いますよ」と答えた。

 すると、感染症学が専門の日本医科大学特任教授の北村義浩氏は「透明マスクと言ったり、マウスシールドと言ったり、しゃべると(飛沫は)上に飛ぶので、基本的には効果はないと言われているタイプですね。大声でしゃべるとね、小声なら、まあいいですけど」と、専門家の見地から麻生副総理のアクリル板が小さいタイプのマウスシールドに“ダメ出し”。

 これを聞いた田崎氏は「マウスシールドって言うんですね…」と、ぽつりとつぶやいていた。

報知新聞社



高齢者が政府自民党に殺される前にやる事

 

窮鼠猫を噛む




高齢者を狙い撃ちにする「悪魔のシナリオ」もいよいよ天王山を迎える。

勿論、最大の決戦、主戦場は年末を控えた11月から正月明け2月までの 4か月間だ。

死者の数は1か月遅れで動き始めると見ていいだろう。12月から3月。

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第1期のピークは20/3月。人の動きを止めて表向きの感染は止まった。軽症者を放置して重症化・死亡が多く発生した。

第2期のピークは20/7月8月。早期対応で第1期に比べて重症化は防止できている。注意すべきは夏のインフルエンザと思えば超異常状態だ。

第3期が本命大決戦の2020年末。

第1期と第2期の間には明確な谷ゾーンがあったが、第2期と第3期の間には明確な谷は作れない。

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政府は新型コロナの指定感染症の扱いを変える。強制隔離を止める。

検査で保菌者を見付けても自由に歩き回れるようにするのだ。

GoToキャンペーンを拡大し第2第3の仕掛けで、日本中の動きを加速させる。

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政府が何をやっているかと言えば、秋冬で感染症の季節に更に感染が進むことをあの手この手でやっている。

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弱毒化など根拠のない話はさておいて、高齢者が感染した時の重症化率、死亡率は、第1期も第2期も高い水準にあるし、第3期本命でも高いままと推定できる。

政府は徹底して新型コロナウイルスをばらまいて一人でも多くの高齢者に感染させたいようだ。

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今、高齢者がやること:

  • 自粛
  1. 自粛の徹底。外出を控える。
  2. 家族との間でも直接の会話を控える。接触を控える。
  • 選挙
  1. このままでは政府自民党に殺されてしまうから選挙だけは必ず行って自民党を引きずり下ろす。 
  2. 好き嫌いはあっても命には代えられませんから、兎に角、野党第1党に投票するしかありません。
  • 政府自民党の高齢者排除の姿勢は 今年だけでない。感染症は毎年やってくるし、今年の新型コロナ以上に凶暴なものが来るかもしれないが、どの場合も政府自民党のターゲットは高齢者だ。そのことを忘れてはいけない。




https://www.asahi.com/articles/ASN8V6SVFN8VULBJ00L.html



医療機関の負担軽く? コロナの運用見直し、政府が検討


中田絢子 姫野直行、辻外記子
2020年8月27日 6時00分


感染症法に基づく主な感染症の分類


 新型コロナウイルス感染症をめぐり、政府は軽症や無症状の感染者も入院させることができるとする感染症法上の運用を見直す議論を進めている。保健所や医療機関の負担を軽減し、重症者に集中的に対応することが主な目的だが、新型コロナへの国民の不安を抑え、経済活動を活発化させたいとのねらいもある。

 官邸関係者によると、政府は28日に対策本部を開き、安倍晋三首相が会見を行う見通し。医療機関への支援策などとともに、運用の見直しを打ち出すことも検討しているという。

 現在の運用が妥当かどうかをめぐっては、24日に開かれた有識者で作る政府の分科会で問題提起され、メリットやデメリットを整理することで合意していた。コロナ対応を担う西村康稔経済再生相は26日の会見で、医療関係者から「指定感染症に指定されていることによって、軽症者や無症状者の入院措置も行われ、保健所や医療機関の負担が増大している」との意見が寄せられていると指摘し、感染症法上の措置の運用について、厚生労働省の助言組織などで「検討を行う」と述べた。

 6月以降の感染再拡大では、感染者数が高止まりする一方、重症者は少ないことから、官邸内には「入院は重症者に特化していい」(幹部)、「(新型コロナに対する)国民の意識を変える必要がある」(首相周辺)などの意見が出ていた。経済と感染拡大防止の両立を掲げる政府にとって、運用を見直すことで国民の不安を緩和し、経済活動を促す効果が期待できる。政府高官は「態勢が整えば恐るるに足らない病気となる」と語った。

 ただ、軽症者や無症状者の扱いについては、すでに宿泊施設や自宅での療養も広がっている。コロナ対応に関係する政府関係者は「見直しがどの程度現場の負担を軽減する効果があるのか分からない」と話す。(中田絢子)
感染症の位置づけは

 新型コロナ感染症は2月に感染者への入院勧告や就業制限ができる、「指定感染症」に位置づけられた。対象は国民の生命や健康に重大な影響を与える恐れのあるもので、緊急時にスムーズな対応が取れるようにする。診断した医師は届け出る必要があり、医療費は公費で負担する。

 感染症法では、感染症を危険度…


(以下有料記事。省略)


 

GoToキャンペーンの混乱こそが政府の狙い筋だった

 

 

GoToキャンペーン

 

皆が利用して混雑すると感染拡大で問題。

皆が警戒して利用しないと疲弊したお店が大変。

いずれにしても最後に犠牲になるのは高齢者だ。


政府の狙いは高齢者コストの削減。手っ取り早い方法は高齢者そのものが居なくなればいいのだ。

 

 

 


 




https://jisin.jp/domestic/1881838/



本誌が見た“GoTo密”現場「全国の観光地は大混乱!」
記事投稿日:2020/08/03 11:00 最終更新日:2020/08/03 11:00
朝のTVで放送され大炎上した『肌が完全再生する美容液』を使った結果… ヴィワンアークス

医師の妻(48)「ニベアと○○混ぜるだけでシミ一瞬だよ」簡単すぎて大炎上 はぐくみプラス

本誌が見た“GoTo密”現場「全国の観光地は大混乱!」
奈良・奈良公園(撮影:本誌写真部)   
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新型コロナウイルスで“もたない”と言われる観光地のためにおこなわれた「Go To トラベルキャンペーン」。

 

しかし、全国の感染者数が連日増加傾向にあり、感染拡大が懸念されるなかでの強行に批判が殺到している。さらに、開始直前で東京都が除外されたためキャンセルが多発。大混乱の中での船出となった。

 

そんななか本誌が訪れた観光地では、外出自粛の声もどこ吹く風と言わんばかりに、以前と変わらぬ人混みが数多く見られた。せめて観光業界は潤いを取り戻すことができたのだろうか。

 

「観光客は確かに増えたのですが、これまで大きな金額を使ってくれていた外国人がほとんどいないので、売り上げは厳しいですよ」(土産店店員)

 

国内旅行者だけでは、思ったような利益につながらないようだ。行き当たりばったりの政策に振り回されたあげく、批判は浴びるし、売り上げにはつながらないし、いったい誰が得したのだろうか……。

 

「女性自身」2020年8月11日 掲載



使い忘れたプレミアム商品券






地方自治体のプレミアム商品券

10%~30%程度のプレミアムを付けた商品券が景気対策で発行されている。例えば、1000円で100円券が11枚とか12枚とか付いてくるクーポンブック。

上限は設定されているようだが、家族分も含めて10万円、20万円と購入する人がいる。羨ましい限りだ。どんどん使って景気を温めてほしい。

ところが、これは期限付き。

仮に20%のプレミアムが20%の確率で期限切れになればトントン。市町村の出費はゼロ。寄付してもらったようなものだから。

だから、早目に使っておいた方がいい。

ところが、なかなか日ごろの決済の習慣で、クレカとか電子マネーとかポイントと関連付けのある方法で支払ってしまい、つい商品券を使うことを忘れてしまう。

買い物かごの中に入れておくか、高い買い物で一気に使うか、期限が気になりだしたら、工夫が必要。



西村コロナ担当のGoToキャンペーンは完全な無駄企画。

受け入れ側も準備で手間をかける分だけ赤字が広がっただろう。客は来ないのに。一部、プレミアムクラスの高級老舗とかは潤ったかも知れないが経済効果は焼け石に水で数字には出てこない。

市町村の施策の方が賢明だ。



使い忘れたプレミアム商品は自分のおおらかさを示す記念品。

市長に送ってせめて寄付扱いを申請するかな。確定申告で少しは還元できる。

COVID-19, 初期症状は発熱!平熱から0.5度の上昇は要注意か?



  • COVID-19
  • 初期症状
  • 発熱
  • 平熱
  • 0.5度上昇
  • 要注意

どの程度正しい情報かどうか分からないけど興味深い記事だ。

発熱一番。本当かな。倦怠感が先に来るような感染者からの声が多く報じられていたように記憶する。味覚障害とかが先とか。

発熱は、いきなり37度5分になる訳ではないだろう。

平熱が36度5分なら、6分、7分、8分、9分と微妙に上がってくるのだろう。体温を毎日測定する習慣でもなかれば気付くことはない。毎日検温をしていてもぴったり36度5分にはならないから、その最初の微熱をキャッチするのはなかなか難しそうだ。

それでも、平熱が36度5分近辺の人が、じわじわ37度になればやばいと思うだろう。0.5度の変化は小さくない。







https://gigazine.net/news/20200821-covid-19-predictable-symptoms-order/



 2020年08月21日 10時55分 サイエンス

新型コロナウイルス感染症の症状には「発症順序」があると判明






新型コロナウイルス感染症(COVID-19)は、発熱に加えて、せき・くしゃみの呼吸器系症状や、強いだるさ(倦怠感)、味覚・嗅覚の喪失などのさまざまな症状を呈することが知られています。5万5000人の感染者を対象とした新たな研究から、COVID-19の症状は特定の「順序」で発症する傾向があると判明しました。

Frontiers | Modeling the Onset of Symptoms of COVID-19 | Public Health
https://www.frontiersin.org/articles/10.3389/fpubh.2020.00473/full

Study of More Than 55,000 COVID-19 Cases Reveals a Predictable Order of Symptoms
https://www.sciencealert.com/study-of-more-than-55-000-covid-19-cases-reveals-a-predictable-order-of-symptoms

COVID-19の症状の発生順序に関する研究を行ったのは、南カリフォルニア大学のジョセフ・R・ラーセン氏率いる研究チーム。研究チームは、世界保健機関が公開している中国で認定されたCOVID-19の確定症例5万5000人分のデータから症状の発生順序を導き出すという研究を行いました。

その結果、COVID-19は初期においては発熱を呈しやすく、その後は咳、筋肉痛、吐き気、嘔吐(おうと)、下痢という順序で症状が進行する傾向が確認されました。







また、研究チームはCOVID-19の症状の発生順序と、インフルエンザやコロナウイルスに分類されるウイルスによる感染症であるSARSやMERSの症状の発生順序を比較しています。インフルエンザは初期においては咳を呈しその後に発熱するという傾向が存在するためCOVID-19の「発熱→咳」という順序とは逆で、SARSやMERSは初期においては発熱という点はCOVID-19と一致しているものの、下痢が来てから吐き気や嘔吐が起きるという点がCOVID-19とは異なるとのこと。

さらに、研究チームがCOVID-19の症状がそれぞれ独立して発生するという想定を元に、症状の進行状況について50万人分のシミュレーションを行ったところ、COVID-19の症状の発生順序は「発熱が最初に表れる」という点で他の著名な呼吸器疾患とは異なるという結果が示されたとのこと。






筆頭著者であるラーセン氏は、「症状の順序は重要です。それぞれの病気の進行状況が異なることがわかれば、医師がCOVID-19とその他の病気をより早く識別することが可能になります」とコメント。今回の研究を報じた科学系ニュースメディアのScience Alertは、「アメリカ疾病予防管理センターは、『人と会う前には体温を測って、発熱していないかを確認すべき』と発表しており、COVID-19の初期症状として『発熱』をチェックすべきだとしています。今回の研究結果は、これを裏付けるものです」と記しています。



呆れたプレジデントの馬鹿記事!コロナ感染症を矮小化してGoTo支援?

 

記事投稿者の氏名が無くてプレジデント編集部になっている。恐らく書いた本人が不適切な記事と理解しているからだろう。

タイトルからして破綻している。

ノーマスクで夜の歌舞伎町でホストクラブでも普通のクラブでも次々梯子してみてはどうか。

COVID-19で重症化した人、亡くなった人(の遺族)に話を聞いてはどうか。 

他の感染症ではもっと多くが死んでいるとあるが、だから何?。治療方法も分からなくて致死率も高い大変な病気なら、お前らメディアがしっかりレポートして注意喚起しなさいよ。

 *

何のためのPCR検査なのかだって?。馬鹿じゃないの。感染確認だよ。中国の党大会取材のときに取材に入った全員が事前に確認させられたでしょう。念入りにやるなら何時間か置いて複数回検査。どういう局面で必要になるにせよ、必要なら受けられることが大事。

*

98%自然治癒の嘘を書くな。後遺症を残す人もいれば、感染を運んでいることも問題。行先は高齢者、疾患者。

*

煽りと言って問題を矮小化する姿勢はプレジデントのメディアとしての資質に問題ありだな。事実を正しく伝えること。科学的評価。

理解すべきは、煽りと殊更言う側には不都合な真実があると言うことだ。GoToに勢いがつかないから何とかしてくれと西村コロナ辺りに言われたのかな?。

*

この記事内容は政府の圧力で、コロナは問題じゃないと嘘を書いているように見える。

確かに、こんな記事では名前は出したくないだろう。

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https://president.jp/articles/-/37994


2020/08/18 11:00

新型コロナは結局、本当に「恐ろしいウイルス」なのか…日本人の反応は正しいか 今、ウイルスより怖いものとは

プレジデント Digital

    プレジデント編集部

新型コロナウイルスについて、「ヤバい、怖い」「いや実は怖くない」という双方の声が錯綜し続けている。今、何をもってそこを判断すべきか。
新型コロナは、どこまで恐れる必要があるのか。(滋賀県大津市にて)
写真=毎日新聞社/アフロ
新型コロナは、どこまで恐れる必要があるのか。(滋賀県大津市にて)
感染性胃腸炎で“自粛”するか

「2週間後はわからない」……このセリフを何度きいただろうか。7月以降、新型コロナ感染者数の全国的な増加とともに、小池百合子都知事をはじめ全国各地の都道府県知事が前面に出て、記者会見でボードを掲げながら警戒を呼び掛け、それをもっぱらテレビが煽り続けてきた。

しかし、その感染者数の増加に見合った上昇をいっこうに見せないのが重症者・死亡者の数だ。8月に入ってもペースは変わらず、8月15日時点で重症者・死亡者はそれぞれ232人、1087人。7月1日の同37名、974人と比較すると、「激増する2週間後」は逃げ水のように先延ばしされてきた。

しかも、死亡者がガンや心臓病など他の疾病がもとで入院していた患者でも、生前コロナ検査で陽性が出ていたらコロナ死者としてカウントされている(6月18日付厚生労働省「新型コロナウイルス感染症患者の急変及び死亡時の連絡について」)、つまり死亡の主因が新型コロナでなくても、コロナによる死亡者としてカウントされる可能性があるにもかかわらず、である。

不謹慎を承知で言うと、あと半年で同数の人が亡くなったとしても、年間の死亡者数では結核の2306人、インフルエンザの2569人、感染性胃腸炎の2320人(2017年、厚生労働省「人口動態調査」より)とほぼ同等程度となる。インフルエンザや胃腸炎で自粛を考える日本人など皆無だろう。


(以下省略)



COVID-19篠田英朗モデル?

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この人は相変わらず訳の分からないことをグダグダ書き綴っているけど、本当のところ、大丈夫かな。

記事もますます筆が運んで絶好調と言いたいけれど、 ボリュームの割に何も伝わってこない。

この記事の何が問題なんだろう?

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  1. 先ず日本モデルと言うのが問題だ。安倍晋三が政府として何もしないで国民が勝手に身を守っただけの状況を日本モデルと言ったに過ぎないのに、何か確たるモデルスペックでも存在するように日本モデルという言葉を使う軽薄さが滑稽でしかない。勿論、本人も少しは分かっているから自分なりに定義づけをしようとしているようだが、それは言っても篠田英朗 モデルでしかない。
  2. 北大西浦の数理モデルと実態を比較していることにも奇異なものがある。実データとするものはモデリング用に正規化も何もやっていない。せいぜい移動平均ぐらい。検査データの詳細は持っていないし、オープンになっていないので当然だが、検査データと実際の感染にも乖離があるから、殆ど意味がないだろう。感染者の正しい数字など誰も分からないのに、たまたま見つかった数字だけを並べているに過ぎないのに。 
  3. 篠田英朗の得意な日本モデルと見えている感染実態の比較はやっていない。当然。モデルになっていない。只の対策セットでしかないから。効果の有効性評価も出来ない。それが、日本モデルと言い続けることがこの人にとっては宗教みたいなものだな。
  4. この人は、数理モデルの見方も理解が無いようだ。抵抗ゼロの電気回路を眺めているようなもの。8月時点でまだこんなレベルの話を続け散ることに驚く。意識のある人は抑制的な行動で、数理モデルの理想状態から大幅にずれるのは当然のこと。
  5. 笑えるのは、ウエーブは必ず抑揚があるから、後半は減衰する。感染抵抗がゼロでも感染する人がいなくなれば収束する。実態は抵抗だらけだからピークも減衰もだらだらしたものになる。この減衰を見て、施策が成功しているように言っているが、何がどう上手くいったのか何の説明も出来ない。政府の無策に喝采を送っているのかな。第2波の説明は、得意の日本モデルでならどのように説明するのかな。何もしていない。
  6. 見る(読む)のも苦しいくらいに馬鹿かも。感染係数(再生産性)から感染数を推定するモデルと、曖昧なマナーの対策セットを勝手に日本モデルとして、比較しているのが馬鹿馬鹿しいくらいだ。全く次元が異なる話。
  7. 北大西浦は接触したら感染する。感染の度合いは接触の度合いの影響を受ける。あるモデルにパラメタを設定してみたら40万と言う数字になった。それだけの話だ。感染を抑えるには接触を抑えること。政府は素直に接触を回避することを促している。それだけで、矛盾も何もない。
  8. 現在の接触回避が十分か不十分かは 色々な観測データで確認するしかないが、とても楽観できる状況にはない。あと3カ月で、中国武漢の初期感染の時期になる。
  • 篠田英朗の記事内容は回を追うごとにますます酷くなるようだ。そろそろ間違いに気づいてしっかり修正すればいいのにと思う。この人のハートフルな姿勢は誰だって歓迎している筈だ。もう少し頑張って下さい。

 


http://agora-web.jp/archives/2047664.html


減速する陽性者拡大から観察できること ~ 日本モデル vs. 西浦モデル2.0の正念場⑥

2020年08月18日 11:31

篠田 英朗


8月10日に「鈍化する陽性者拡大 ~ 日本モデル vs. 西浦モデル2.0の正念場⑤」という文章を書いた。その後も新規陽性者数の鈍化現象は続いている。東京で見てみよう。
      新規陽性者数

(7日間平均)
    増加率

(前の7日間との比較)
8月11日~17日     258人     0.77
8月4日~8月10日     335人     0.99
7月28日~8月3日     338人     1.34
7月21日~27日     252人     1.15
7月14~20日     219人     1.30
7月7日~7月13日     168人     1.69

 これを日ごとの7日移動平均値をとったグラフで見るとこうなる(参照:東洋経済オンライン)。

東京の新規感染者数は、都道府県単位では常に日本全国で最大の割合を占めているだけでなく、先行指標としての意味もあるので、多くの人々が注目してきた。実際に、8月の全国の新規陽性者数の推移は、東京の動きを後追いする形で、鈍化の傾向を顕著に見せている(参照:東洋経済オンライン)。

私が「『日本モデル』vs.『西浦モデル2.0』の正念場」シリーズで検証してきていることを、あらためて確認しよう。

4月半ばに「西浦モデル」は「42万人死ぬ」を派手に宣伝した。このときに前提としていた数値を修正したのが、5月に公表された「西浦モデル2.0」と呼ぶべきものである。基本再生産数や致死率のことは捨象しつつ、緊急事態宣言が解除されれば、3月下旬以降の新規陽性者数の拡大が再現されると予言したのが、「西浦モデル2.0」である。

具体的な数値の計算は変更したとしても、「6~8割の人と人との接触の削減」がなければ新規陽性者数の増加は集団免疫の獲得まで止まることはない、というのが「西浦モデル」の大前提である。たとえば「2~3割程度の人と人との接触の削減」であれば、曲線がわずかに緩やかになるだけで、新規陽性者数の指数関数的拡大という傾向に対する変化はない。これがオリジナル「西浦モデル」から「西浦モデル2.0」を通じて一貫した前提であり、そもそもの「SIRモデル」の前提であった。

西浦氏(FCCJ公式YouTubeより)

「日本モデル」が「西浦モデル」と対決するのは、二つの点においてである。

第一に、「日本モデル」は、新規感染者数の拡大と新規重症者数の拡大は、一定の固定的な比率では進まない、と考える。なぜなら高齢者や基礎疾患保持者は重症化しやすいが、そうでなければむしろ無症状者のほうが圧倒的に多いといった新型コロナの特性を考えれば、同じ新規陽性者数の拡大の場合でも、その構成内容は異なってくるため、重症者数との関係は一定ではない。また、そもそも重症者の絶対数についても、医療体制との相関関係においてその深刻度を評価すべきと考える。

7月以降の新規陽性者数の拡大の局面において、「日本モデル」は、その洞察の重要性を証明し続けた。新規陽性者の拡大ペースに反して、重症者数の増加を抑え込むことによって、医療崩壊を中心とした社会経済的なインパクトを抑え込むことにも成功した。

第二に、「日本モデル」は新規陽性者数の「ゼロ」化を目指さない。「人と人との接触の8割削減」を通じた新型コロナウィルスの撲滅という主張とは異なり、「日本モデル」は新型コロナウィルス撲滅の不可能性を洞察する。そこで「日本モデル」が目標とするのは、新規陽性者数の拡大の緩やかな抑制であり、要するに医療崩壊を起こさない程度に押さえ込んだ重症者数の抑制である。そこで「日本モデル」は、「西浦モデル」が要請する画一的な「人と人との接触の削減」ではなく、「三密の回避」などを通じた大規模クラスター発生予防を中心にした現実的な感染拡大の抑制を目指す。

8月になってからの新規陽性者数の拡大の鈍化の局面において、「日本モデル」は、その洞察の重要性を証明し続けた。「人と人との接触の〇割削減」を語ることなく、「三密の回避」などを中心にした大規模クラスター発生予防を中心にした取り組みによって、新規陽性者数の拡大の抑制に成功したのである。

5月3日に西村大臣が日本の政策の説明で用いた「ハンマーとダンス」の表現を用いると、「日本モデル」は、政策目標として掲げたとおり、ダンスの踊り方の形を模索している最中である。

 「日本モデル」の現実に即した実績と、「西浦モデル」の抽象理論の予言の相違は、上記で示した現実の実績と抽象理論の予言のグラフの違いによって明らかであろう。

これをふまえて、現時点で確認しうる観察を記しておきたい。
消耗戦を避けながら、大きな感染拡大の芽を摘む

第一に指摘できるのは、新規陽性者数の拡大は、極めて人間的な事情で増減し、「人と人との接触の削減」以外の方法で管理されうる、ということである。7月上旬をピークにした新規陽性者数の拡大は、7月においても鈍化の傾向を見せていたが、ただ4連休の期間においてのみ拡大を活性化させる傾向が生まれた。しかしそれでも新規陽性者数の拡大を抑え込みたいという国民の努力は、大きな傾向としては、7月~8月を通じて、着実な成果を見せてきている。

つまり、「人と人との接触の削減」あるいは「緊急事態宣言」だけが、新規陽性者数の拡大を抑え込むための方法ではない、ということである。「三密の回避」などの「日本モデル」の地道な努力には、大きな意味があるのである。

また、国民意識が熟成するまえの早まった緊急事態宣言には、効果が乏しいだろう、と予測される。国民の危機意識があって初めて緊急事態宣言は機能するのであり、とにかく早め早めに実施すれば良い、ということではない。

第二に、ウィルスの弱毒化や、集団免疫の成立を証明する要素は、確認できない、ということである。仮にそれらの要素が働いていたと仮定しても、統計的に有意な差を生み出したと言えるかどうかを争うだけで、大勢には影響がなかった。重症者は生まれる。新規陽性者数の拡大と重症者数の拡大が反比例することはない。ただ抑え込めるかどうかが、重要である。

新規陽性者が減退する局面に入ると、異様な「煽り」報道に代わって、立証できない集団免疫成立論やウィルス弱毒化論や「SIRモデル」に代わる数理モデルなどが幅を利かせてくる。私は科学者ではないので、全ての立証されていない仮説に対して中立的だが、社会科学者として言えば、せいぜい統計的に有意な差があると言えるかどうかだけのことを争っているだけの立証されていない仮説によって大枠の政策を決めることはできない、とは感じる。

押谷仁教授(東北大HPより)

日本の新型コロナ対策の最重要人物である押谷仁教授は、「日本の戦略の肝は、『大きな感染源を見逃さない』」ことだと説明し、「消耗戦を避けながら、大きな感染拡大の芽を摘む」ことが重要で、「一人の感染者が多くの人に感染させるクラスターさえ発生しなければ、ほとんどの感染連鎖は消滅していく」という洞察が背景にあると述べている。(「巻頭インタビュー押谷仁教授 感染症対策 森を見る思考を」『外交』Vol.61, Jun/May, 2020)

様々な仮説を提示して検証を行うのは勝手にすれば良いと思うが、尾身茂分科会会長の下、押谷仁教授のような卓越した専門家の洞察を活かした「日本モデル」の努力と功績を、すべて単なる偶然とみなそうとする態度には、私は明確に反対する。

すでに結果が出ている。認めるべきだ。尾身先生や押谷先生は、日本の国民的英雄である。7月と8月の重症者数抑え込みと、新規感染者数の管理は、尾身先生や押谷先生の卓越した貢献があればこそだ。

第三に、4月期と7月期を通じて、東京などの大都市圏が全国的な傾向を主導し、濃密で長時間の接触が起こる環境が新規陽性者数の拡大の傾向を左右する、ということが相当程度に明らかになった。さらに重要なことに、その点に着目することによって、新規陽性者数の拡大の管理が相当程度に可能となることも分かった。

7月の集中的な検査実施によって、いわゆる「夜の街」とされた濃厚接触空間において、新規陽性者が多数確認できる傾向があることがわかった(仮に「夜の街」それ自体では重症者は生まれていないとしても)。結果的には、「夜の街」に対する集中的な検査実施は、新規陽性者数の抑制という結果に貢献したと言える。

逆に言うと、新規陽性者数に占める「家族感染」の増大や、それと同じ事情として東京への通勤者の多い神奈川県などの東京近郊圏の新規陽性者数に占める比率の増大は、新規陽性者数の減少が始まっている示唆となる先行指標であることも示された。

家族感染についても、予防の努力は無駄ではないと仮定したとしても、市中感染ルートと比して、著しく予防が難しいことは、間違いないだろう。逆に言うと、政策的な介入や、国民の行動変容によって容易に操作が可能なのは、たとえば「夜の街」のタイプの感染ルートであり、「7月の4連休」で増加したようなタイプの感染ルートである。

「日本モデル」は、決して新規陽性者数の拡大を完全に無視する態度のことではない。重症者数の管理を重視する視点をとったからといって、新規陽性者数の拡大がやがては重症者数の拡大につながる圧力となることを否定しなければならないわけではない。「日本モデル」の観点からしても、いたずらに心配しすぎるべきではないとしても、新規陽性者数の拡大は、やはり抑制が望ましい事柄ではあるだろう。
日本モデル、政策的なメリハリで着実に成果

「西浦モデル」であれば、「人と人との〇割削減」といった数値目標を至上命題とする余り、児童公園まで使用禁止にしてテープで封鎖することを要請するアプローチをとる。しかし、「日本モデル」であれば、より政策的にメリハリの利いた介入を重視する。

いずれにせよ、尾身茂先生や押谷仁先生ら、「旧専門家会議」「分科会」主要メンバーが推進してきた「日本モデル」は、着実な成果を見せている。

少なくとも旧専門家会議が招集された2月中旬以降の現実をふまえて自己設定した目標の達成度という観点で評価すれば、「日本モデル」は素晴らしい成果を収めている。

54兆円+αを費やすことを厭わず、全国民毎日PCR検査で絶対的な安心を提供せよ!といった、まるで非武装中立で絶対平和を達成せよ!のような非現実的で無責任な言説を流布して日毎の視聴率を稼ごうとするメディアの弊害にさえ気づけば、「日本モデル」の意義は明らかである。

「日本モデル」vs.「西浦モデル2.0」の意味は、今や「良識的な現実主義」vs.「現実を否定する机上の空論至上主義」の戦いの様相も呈してきている。

私としては、日本国民が「良識的な現実主義」を支持することを期待しつつ、あらためて一層の尾身茂先生や押谷仁先生が主導する「日本モデル」の称賛を表明しておきたい。



731部隊 中野学校 国立感染症研究所|コロナ社会に影を落とす闇の連鎖

 

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新型コロナウイルス感染症COVID-19への政府側対応の不可解な様子が様々な形で報じられている。奥深く広がる闇の世界だ。

単なる利権の枠組みを超えた沈黙する組織。

ルーツは何処にあるか知らないが、軍事機密と一体になった感染症防疫行政の 世界は、民間の介入、情報の公開を甚だしく嫌ってきたに違いない。

感覚的には軍政の領域に生きているんだろう。使命感と特権意識と一体になった、民主主義社会と相いれない世界。

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医療行政の民主化に安倍晋三が取り組むとは思えない。

何を考えているか分からない連中だ。敵に回したくもない。

触らぬ神に祟りなしで済まそうとしているかな。

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細菌兵器の研究をしていたのが中国。それを今回世界にばらまいた。感染させた中国人を世界中に送り込むだけで十分だ。これはアメリカのフェイクニュースと思えばそれまでだが、真実は分からない。中国の対策が革新的だからだ。普通なら色々な疑い、可能性の中で対処するが、中国は最初から問題が分かっていた。特に関する情報の提供も早かった。意図的か、何かのミスか、両方の立場があったのか。よく分からない。





https://gendai.ismedia.jp/articles/-/74905


731部隊にいた10代の少年兵たち


731部隊の元少年兵が激白…「残虐な人体実験が我々の日常だった」

2つの「日常」が重なった少年兵の記憶
現代ビジネス編集部


「任務が終わった夜に同期の友人と会うと、お互いの業務内容を話していました。『今日は人体解剖をした』『軍用犬に細菌兵器を運ばせる訓練をしている』なんて人もいましたね。まだ10代でしたけど、当然施設内で生物兵器を作っていることも知ってましたよ」

たった14歳で731部隊に入隊した元少年兵の須永鬼久太氏(92)はこう語る。

関東軍防疫給水部本部、通称「731部隊」。満州のハルビン市近郊に拠点を構え、表向きには兵士の感染症予防や安全な給水システムに関する研究を行っていた。しかし秘密裏に非人道的な人体実験を繰り返し、実戦での使用を目指して生物兵器を開発していたとされる。

 
 中国ハルビン市に残る、731部隊が使っていた施設[Photo by gettyimages]


14歳から17歳という多感な青春時代を、須永は「日本陸軍史上もっとも残虐」とされる部隊で過ごした。戦後75年が経ち、731部隊の実情を証言できる元隊員は少ない。満州の地で、彼はいったい何を見たのだろうか。節目の年に、あらためて話を聞いた。
むごたらしい人体実験の実情

731部隊の任務の一つが、敵兵を重篤な伝染病に感染させる「細菌爆弾」を製造することだった。部隊内で開発されていた「ペスト菌爆弾」は、病原菌を媒介するノミを爆発によってばら撒き、相手をペストに感染させる。長野県の高等小学校を卒業して731部隊へと入隊し、1年間の教育期間を終えた須永は、1943年頃からそのプロジェクト内の「焼成班」に所属していた。

「私の仕事は、ペスト菌爆弾の容器を焼き上げることでした。少量の火薬でペスト爆弾が爆発した後、粉々に飛び散って中身の細菌が生きたままばら撒かれるように、陶器製の容器が使用されていました。細菌兵器を作っていることについても説明を受けていましたよ」

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https://gendai.ismedia.jp/articles/-/74905?page=2


彼らが製造した爆弾の威力は、残虐な人体実験によって検証された。実験台として惨たらしく殺害されたのが、中国人やロシア人の捕虜たちであった。彼らは「丸太」に等しい存在とされていたため「マルタ」と呼ばれ、文字通りの非人道的な扱いを受けたとされる。

「実験施設から屋外の実験場にマルタを連行して、抵抗できないよう杭にくくりつけ、数メートル間隔で並べるんですよ。彼らのすぐ近くで細菌爆弾を炸裂させ、強制的にペストに感染させたうえで、身体がどのように変化するのか経過を記録するんですね」

731部隊の人体実験で使われた器具[Photo by gettyimages]


このペスト菌爆弾の検証実験では、一度に10人以上の捕虜が実験台にされた。爆弾の感染力と効果範囲を測定するため、捕虜と爆発地点間の距離や火薬の量などを変化させて、何度も何度も実験が行われ、そのたびに罪のない捕虜たちがペストに感染させられた。

実験終了後、感染した捕虜が治療されるはずもなく、全員が数週間以内に死亡した。しかし彼らは死んでもなお、「実験台」として扱われている。爆弾の性能向上につなげるため、死亡した感染者の遺体は解剖されて、臓器へのダメージを徹底的に調べられた。驚くべきことに、須永のような10代の隊員たちも、この事実を知りながら平然と軍隊生活を送っていた。
2つの「日常」が重なり合う

「部隊内で人体実験が行われていることは、焼成班に配属された頃から知っていました。本部施設3階の窓から、中庭にいるマルタを見たことがあります。どこの国の女性かは分かりませんが、遠目に女性のマルタを見たこともありました」

初めて実験台である「マルタ」を見たときの記憶を、彼はこのように振り返っている。残虐な実験が基地内で行われ、しかも捕虜が実験台にされることに対して、特段の驚きはなかったという。当時の心境を須永はこう話す。

 

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https://gendai.ismedia.jp/articles/-/74905?page=3


「人体実験に使われるマルタは捕らえられたスパイで、死刑囚だと教育されていました。だから良心の呵責みたいな感情もありませんでしたね。14歳で入隊した当時の我々は、本心からお国のためだと思い、滅私奉公のつもりで任務に当たっていました。『この細菌爆弾が完成すれば戦局を変えることができる』と上官から言われていましたから」

須永以外の少年兵たちも同様だ。前述の証言の通り「人体解剖を行った」「軍用犬に細菌爆弾を運ばせた」といった会話は、部隊の少年兵たちにとってありふれた世間話だった。基地内で非人道的な生物兵器が製造されていることは周知の事実であり、10代の少年兵たちはその環境に慣れきっていたのだ。

その一方で彼らは普通の青年と同じような生活も楽しんでいた。

「私たちの班はハルビン市街地に近い建物で生活していたこともあり、他班に比べると自由度が高かったんじゃないですかね。休日は外出許可を得て、基地から市街地へ繰り出すこともありました。

そうそう、ハルビンの市街地で生まれて初めて水餃子を食べたんです。餃子自体、当時の日本にはありませんでしたからね。『あそこの店の水餃子は美味いよな』なんて、仲間と言い合ったものです。映画館に行ったりもしましたね」

 

1943年ごろのハルビンの街並み[Photo by gettyimages]


しかし帰りに通る基地の入り口には、「何人たりとも関東軍司令官の許可なくして構内に入った者は銃殺に処す」と書かれた警告文が張られている。「初めて見たときは、ものものしい場所に来てしまったと思った」と須永は話す。

残虐な人体実験が当たり前のように行われていた基地の中と、美味しい水餃子や映画館がある外の世界。どちらも少年兵たちにとっての「日常」だった。
彼ら少年兵の経験を学ぶ意味

ソ連が国境を越えて満州に侵攻してきた1945年8月8日、須永が所属する少年隊は、機密保持のため施設内の研究室を破壊するよう命じられた。その後工兵隊が本部の建物を爆破し、証拠を隠滅したうえで撤退した。


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https://gendai.ismedia.jp/articles/-/74905?page=4


須永が後で聞いたところによると、一部の少年兵は不必要になった捕虜を直接「処分」させられたらしい。須永らが研究室を破壊している間、施設の一角からずっと黒い煙が上がっていた。少年兵たちが捕虜を殺害し、死体にガソリンをかけて燃やしていたのだった。

その後、須永らは朝鮮を経て日本へと戻った。帰国直後に感じた恐怖について、こう振り返っている。

「なんとか内地に戻ったものの、我々の部隊に所属していた者は『そのうちGHQに捕まって殺されるんじゃないか』という不安が強かったですね。731部隊で非人道的な人体実験を繰り返し、細菌爆弾を開発していたわけですから。でもそのうち、石井四郎部隊長が、実験データと引き換えに隊員を免責するようアメリカと取引したと聞いて、安心しました。率直に、うまくやってくれたなと思いましたね」

戦後しばらく沈黙を貫いた須永は、「部隊内で見聞きしたことは話してはならぬと徹底的に教育されていたから、終戦後も731部隊のことは家族にすら話さなかった」と語る。しかし7~8年前から取材に応じるようになった。

「731部隊のことが報道でこれだけ世に知られたので、『もう全てオープンにしてしまったほうがいいだろう』と生きている隊員たちで話し合い、数年前からメディアに出るようになったのです。非人道的な実験によって細菌兵器を研究していたのですから、今考えれば間違ったことだったと思いますよ。でも、当時はそれが当たり前でした」

軍上層部からの教育や環境への適応の結果、彼ら少年兵にとって、非人道的な人体実験は「美味しい水餃子」と同じ「日常生活」となった。異常な環境も戦時には「日常」となりうる。戦後75年を迎えてもなお、われわれは須永の証言から引き出されたこの事実を、見つめ続けなければならない。



COVID-19感染拡大を黙って見ている安倍晋三内閣?

 

 沖縄支援?興味なし!アベノマスクでも送るか?

兎に角。当面は先手先手で検討中・調整中!。

 

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西村コロナはGDPの落ち込みを止める方法を知らず、コロナ感染拡大を止める方法を知らず、自分が役立たずなことを知らず、国民から軽蔑されていることを知らず、国民の質問に答えることも出来ず、毎日テレビに顔をさらしている。

 

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沖縄支援は調整中と検討中で済まして、実質は何もしない。

無理やり踏み込んだGoToの効果測定も出来ず説明も出来ない。指標は持っていない。得意の総合判断で済ましている。

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COVID-19感染拡大見てるだけ~っですか。

毎日会見の西村コロナも見てるだけ~。

加藤厚労相も見てるだけ~。

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目安で基準ではありません。それは誤解です。死ぬのは自己責任。

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いつまで見てるの?

収まるまで。人口以上に死ぬことはない。先手で対策取っているから大丈夫。いずれ収束は約束されています。

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沖縄への支援は?

政府に盾突く沖縄支援などだれがするもんか。

沖縄は、全土基地化計画 ですよ。埋めて埋めて埋めまくります。

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支持率下がってますが?

75日も持たない記憶の国民。民主党の悪夢といとこと言えば、支持率は倍返しで戻ってくるよ。

今までの不祥事並べてみてよ。その時にちらっと下がるけど、直ぐに戻る。何も解決しなくても支持率戻す馬鹿国民に本当に感謝している。どこの国でも、似たような事情だ。騒ぐメディアもすぐに忘れる。次のことで騒ぎだすからね。

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日本の美しい政治は何もしないこと。

何も足さない。何も引かない。

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https://www.yomiuri.co.jp/national/20200815-OYT1T50000/

沖縄、全6指標で「ステージ4」…爆発的な感染拡大の水準

2020/08/15 09:15

 厚生労働省は14日、新型コロナウイルスの感染状況をステージごとに判断する6項目の指標の最新データを、都道府県別に公表した。沖縄では、爆発的な感染拡大が起きている水準「ステージ4」に全6項目が当てはまった。愛知や東京、大阪なども次の「ステージ3」に3~4項目が該当し、感染が拡大している実情が明らかになった。

 沖縄では、ピーク時に向けて確保しようとしている病床数に対する入院者数の割合が71・1%と、前週から22・6ポイント上がり、ステージ4の目安(50%)を超えた。ほかにPCR検査の陽性率や、感染経路が不明な感染者の割合などの項目も高い水準となった。

 愛知や東京、大阪、福岡などでは、病床の逼迫状況などが、ステージ3に移行する目安に該当した。

 指標は、有識者からなる政府の対策分科会が7日、病床の逼迫状況など6項目を決めた。ステージ4は緊急事態宣言発令を検討する段階だが、感染状況の最終的な判断は、国や都道府県が総合的に判断するべきだとしている。



※ 

 


COVID-19を只の風邪と言う無責任?



何を言いたいのかよく分からない。言い回しがトリッキーで混乱する。分かる日が来るかも知れないが、今は分からない。 

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未知のウイルスだからみんな騒いでいるけど、所詮は只の風邪に過ぎない。人々は騒ぎ過ぎ、恐れ過ぎと言っているように聞こえる。

根拠のないバカ騒ぎは止めろと言っているのかな。 

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こんなことを言って、この人が何か責任を負うことはない。

テレビに出る人では、志村けん。大場久美子。無名の人ならその何十倍も命を失っている。海外に目を向ければ、更に桁違いに多くの人が無くなっているのは誰もが知っていることだ。

海外で只の風邪に過ぎない旨の発言をしたら、無事で収まらないだろう。

日本人は大丈夫!?。

現時点のデータでは致死率は低い。明日もきっと大丈夫でしょう。ずっと大丈夫ならいいが、確信などある筈がない。だれも疑心暗鬼。

この只の風邪と言う人は、他人に言う前に自分で新宿ホスト街をマスクも何もしないで次々と飲み歩いてみてはどうかな。

一見風邪のように見えても、心臓に後遺症が残る報告が出ている。後遺症は心臓に限らない。

ただの風邪ならいいのにという願望を持つのは構わないが、メディアを使っての根拠のない流布でしかなければ、いつしか釈明に追われるだろう。

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アゴラって他にも変な記事が出ていたけど、編集チェックが甘いのかな。 玉石混合かな。

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http://agora-web.jp/archives/2047607.html


新型コロナは、誰も罹ったことがなかった「ただの風邪」 --- 中村 哲也

2020年08月14日 06:00

ゲストオーサー

新型コロナが、「ただの風邪」かについての様々な議論があるが、私の頭の中の整理を書いてみたい。

 

写真AC:編集部



最初に結論を言うと、新型コロナは、誰も罹ったことがなかった「ただの風邪」である。ここでの「ただの風邪」とは、ウィキペディアの「風邪」の定義とほぼ同じとする。

「誰も罹ったことがなかった」と「ただの」は矛盾するので、厳密には、「誰も罹ったことがなかった風邪」であるが、この稿では、「風邪」を「ただの風邪」と表現することをご容赦頂きたい。

なお、私は医学方面の専門家ではないので、以降お読みになるのであれば、それを前提として頂きたい。

さて、「誰も罹ったことがなかった」については、異論のある方はごく少数であろう。今回、この「誰も罹ったことがなかった」が、大きく2つの問題を引き起こした。

ひとつは、「誰も罹ったことがなかった」ことにより、抵抗力のない人がかなりな数に上り、感染が広く速く拡大したことである。

また、バイタルや免疫力が低下した方にとっては、最後の一線を越える直接的原因が一つ増えたことになり、当面は、未感染者が多いことから、危険な要因であろう。

もうひとつは、「誰も罹ったことがなかった」ことにより、ニュース性が大きく、マスコミがこぞって取り上げ、視聴率を稼げる方向へ放送内容がシフトした結果、多くの国民が、不安感を持ったことである。

元々、東京オリンピック関連のコンテンツを予定していた時期だったので、コンテンツの差し替えが必要で、各種の自粛が障害となり、番組制作は困難だったはずである。コロナ関連情報の取材活動については、唯一公共性が高いというエクスキューズがあったことも、コロナ関連の放送が多くなった一因だと思う。

そして、コロナに関する情報が埋蔵?される鉱山?に、ゴールドラッシュ?が起き、掘りつくされて、ごく小さなかけらにも大きな価値が生じるバブリーな状況となっている。テレビというのは常にコンテンツを必要とするもので、ほんのわずかな情報で「尺を持たせる」技術は磨き抜かれている。

本筋ではないが、最近、政府広報を様々な媒体で目にする機会が多くなった。必要な内容だとは思うが、その費用に関し、民間企業が支払っている単価と大きく乖離していないか心配である。

次に、「ただの風邪」かどうかの判断であるが、アゴラ執筆陣の多くの方の論評から、私は、致死率で考えることが妥当とし、季節性インフルエンザ程度のようなので、「ただの風邪」と整理した。少なくとも日本ではそう考えてよいと思う。

したがって、政府の「新型コロナウイルス感染症対策の基本的対処方針」において、新型コロナの特徴に関する多くの記述が、3月28日の策定時のままなので、これは更新すべきと考えている。

 科学的根拠ではないが、古くから「ただの風邪」と軽く考えることへの戒めとして「風邪は万病のもと」、「風邪をこじらせる」といった慣用句がある。

これは、新型コロナにもぴったり当てはまることから、新型コロナを「ただの風邪」といっても問題ないことを補強している。

新型コロナの感染パターンや、発症に関する特徴がインフルエンザとは異なるので、「ただの風邪」ではないと思う方もいるかもしれないが、風邪の原因となるウィルスや細菌は数多あり、おそらく、そのバリエーションの範囲ではなかろうか。

よって、新型コロナは、日本では、誰も罹ったことがなかった「ただの風邪」である。

中村 哲也   団体職員(建設分野)



終戦記念日に思う事


変わった視点の記事が流れてきた。変わったと言っても、ある意味では日本(日本人?)の常識 で誰でも知っている。日本人のマナーとして口に出すことはあまりしない。

貰ったものは感謝もなく懐に入れる。失ったものは難癖付けてでも奪おうとする。そういう韓国人、朝鮮だけじゃないのは知っているが、常識も良識もある彼らは口を開き声を出すことはない。集団暴行に合うからだ。

 こういう国、国民を共に歩もうと考えた戦前の日本人は全く見る目が無かったというべきだろうね。勝手に隣国隣人を掛け替えのない仲間と決めつけていたのだから救われない。恐らく必要なものは何でも供出していただろう。都合よく奪われるとも知らないで。

日本に来た韓国人朝鮮人に与えたものも半端ではなかったろう。それは戦後も続いていた筈だ。

ギブ&テーク。

韓国人はノーギブ・テークオンリー。ご都合なことだ。

韓国人の大人子ども、甘えの抜けない態度をず~っと我慢してきた連中もいるが、今は少ない。日本人の世代も変わった。若い戦後すら知らない日本人には韓国人の理不尽を黙って見ていることはしないし、かといって文化を否定している訳ではない。是々非々の態度。 

それもまた変わってきている。大昔の征韓とか嫌韓とかに通じるものがあるかも知れない。とても危険な状況だ。利用されるだけの付き合いに辟易しているし、もはやこれ以上関わりたくないと思う人ばかりだろう。居直り盗人?。

今日は終戦記念日。

馬鹿な政治に決別してリスタートする記念日だ。

感謝も尊敬もない幼く愚かなままの隣人とはちら強く決別する日だ。大人の付き合いをするんじゃない。軽蔑して反撃はするが、付き合うことはしない。もうウンザリなんだ。

そういう人のリスタートの日になるんだろう。

終戦記念日に思う事:

人それぞれだろう。

 /

 ※

https://bunshun.jp/articles/-/39563

日本は朝鮮半島に「10兆円の資産」を残した…75年前の終戦で韓国が得たもの

韓国人経済学者に聞く

黒田 勝弘
5時間前

source : 文藝春秋 2020年9月号


 1945年(昭和20年)8月15日の敗戦に際し、日本が朝鮮半島に残した資産はいかほどであったか。韓国の著名な経済学者の研究結果である『帰属財産研究』(李大根著、2015年刊)によると、当時の推計で52億ドルだという。現在の価値では約10兆円にもなる規模だ。

 同研究によると、この資産のほとんどは日本人の投資、開発によって形成され、これは35年間の日本統治時代および解放後の経済発展に寄与し、韓国社会を豊かにしたという。

 歴史的経緯でいえば日本資産は韓国ではまず進駐米軍が接収し、後に韓国側に譲渡され「敵産」といわれた。したがって財閥をはじめ現在の韓国企業には、この「敵産」をルーツとするところが結構ある。

©共同通信社 


恩を仇で返されたようなもの


「文藝春秋」9月号で著者の李大根・成均館大名誉教授(81)をインタビューしたが、話題は当然、日韓の外交懸案である、いわゆる徴用工補償問題におよんだ。

 李教授は「1965年の国交正常化の際の請求権協定で解決済み」という見解だが、とくに日本が残した膨大な資産のことを考えれば「今さら日本に補償を要求するというのは筋が通らないのでは……」という点で、筆者と共感しあった。

李大根・成均館大名誉教授



 今回の徴用工訴訟では日本製鉄が矢面に立たされている。日本製鉄が韓国のPOSCO(旧浦項総合製鉄)に持っている株の差し押さえが問題になっているのだが、日本製鉄からすれば「恩を仇で返されたようなもの」だろう。

 日本製鉄は朝鮮半島に資産を残しているし、POSCOは国交正常化後に日本から得た「請求権資金」と日本製鉄などの技術協力で誕生した企業だからだ。


*

https://bunshun.jp/articles/-/39563?page=2


反日主義が宗教化してしまった


 李教授は日韓でベストセラーになった『反日種族主義』の著者らが依拠する「落星台経済研究所」の先輩格でもある。

「(中国に似て)われわれにも昔から国家、民族、家門の利益のためには虚偽、歪曲、捏造も許されるという“倫理観”がある」という皮肉な自責感とともに「韓国では歴史に真摯に向き合うことを拒否する考え方が広まっている」と、学者としての危機感を語っている。

 ただ、歴史認識をはじめ「反日主義が“国教”のように宗教化」してしまった韓国の現状では、変化の展望は難しいという。それが現実の政治や外交まで左右し続けているのだから、インタビュアーも気が重い。それでも教授は「若い世代に期待するしかないでしょうね」というのだった。


◆◆◆

 黒田勝弘氏による李大根名誉教授へのインタビュー「徴用工に日本が補償する道理はない」の全文は、「文藝春秋」9月号および「文藝春秋digital」に掲載されています。

 出典:「文藝春秋」9月号


「希望していない」のに“アベノマスク”が次々届く?!

 

 

 「希望していない」のに“アベノマスク”が次々届く?!

 

「希望していない」のに“アベノマスク”が次々届く?!
 
 

「希望していない」のに“アベノマスク”が次々届く?!
13日 23時12分
 3月以降、介護施設などに配られた“アベノマスク”と同じ形の布マスク。先月、国は追加の8000万枚分を「希望する施設だけ」に配ることに。ところが今、「希望していない」事業者にも次々と届いています。一体、なぜ?
 
 
 ※
 
いつまで、バカノマスクを続けているの?
 
 

人は飼いならされる動物?「ハイコンテクスト」と「ローコンテクスト」

 

 

面白い記事だ。宣伝に一役買うことにしようかな。オリジナルサイト等でしっかり読み込んで。マネジャー、人事などの領域の人には必須の基本知識かも。

共有理解になっていれば、スムーズなコミュニケーションができるかもしれないが、そこに至るのがまた苦労かな。。

ペットを飼えばもっと正しく理解できるかも。

子供を育てても分かる。

マニュアル化した社会。

でも、欧米でもハイコンテキスト社会はがっちりあってよそ者が入っていくのは大変。マニュアルはあくまでのも外から来た人のためですから。

飼いならされない若者はいずれ淘汰されます。



https://gentosha-go.com/articles/-/28254



幻冬舎ゴールドオンライン人気記事ピックアップ

同じ仕事なのに…若手社員と昭和ベテラン社員の「絶望的な差」


西村 直哉2020.8.12

 

本記事は、人材育成・組織行動調査のコンサルタント西村直哉著『世代間ギャップに勝つ ゆとり社員&シニア人材マネジメント』(幻冬舎MC)より一部を抜粋・再編集したものです。

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最近の若者のやること、考えることが理解できない!

1961年生まれの私が新入社員だった頃は、仕事で上司から何かを指示された場合、返事は「はい!」しかあり得ませんでした。
 

ところが現在、若手社員に業務上で何らかの指示を与えると、「その仕事がどのような意味を持つのか説明してください」とか「なぜ私がその仕事に適任だと思われたのですか?」などと、平気で訊いてくるのです。


もちろん、仕事なのですから理由はあります。説明しろと言われれば、説明できないことはありません。しかし、心のどこかで「そんなつまらないことでおれの時間を奪うな」という気持ちが芽生えてしまうと述懐する管理職も少なくありません。
 

実際、説明をしたところで、彼らの仕事内容が変わるわけではないのです。説明を聞いてから「やりたくありません」と断る人にも、今のところ出くわしたことはありません。だとしたら、くだくだしい説明は省いて、さっさと仕事に取り掛かってほしいというのが、昭和を生きてきた管理職の本心です。
 

しかし、最近の若手社員は「とりあえず黙って命令に従う」ことをしません。たとえ、表面上はそうしたとしても、顔には不満の色が出ています。「背中を見て学ぶ」とか「仕事は教わらずに見て盗む」とか「3年は我慢して働く」とか、そういった旧来の丁稚奉公(でっちぼうこう)の価値観は古くなってしまったようです。

 
最近の若手社員は「とりあえず黙って命令に従う」ことをしない。 (写真)PIXTA


 
あまり昔のことばかり言うと嫌われてしまいそうですが、私が若い頃は「若手社員は会社の利益に貢献していないから、一人前になるまでは自己主張せずに滅私奉公(めっしほうこう)するべし」と言われていましたし、それを当たり前と受け入れる感覚がありました。しかし、今の若手社員の多くには、良きにつけ悪しきにつけ、そのような前時代の常識が通用しません。

 

「丁稚奉公」の論理が成り立ったのは、終身雇用と年功序列が保証されていて、若いうちは低い給料で我慢していても、年を取ったときにその分をプラスして厚遇してもらえると期待できたときだけです

 

 

([図表1]ホステージ理論)。

 

しかし、読者諸賢もご存じのように、日本企業からは社員に終身雇用を保証するだけの体力が失われてきました。大手電機メーカーのリストラや身売り騒動を見るにつけ、若い人が企業に対する信用を失うのも無理はないと感じます。

 
その結果、たとえ正社員といえども、若手のうちはいつでも転職が可能であるし、それを悪いとも思わないような風潮ができてしまいました。端的にいえば、会社に対する忠誠心がなくなったのです。

 
アメリカの人材コンサルティング会社が2013年に行った「従業員忠誠度(employee engagement)の各国比較」によれば、日本の社員で「会社に強く忠誠心を感じている ((highly engaged)」と回答した人の割合は、調査対象国中で最低の9%でした。


一方、「会社に反感を持っている」と回答した人の割合は調査対象先進国中で最高の33%でした。別の調査でも、日本のサラリーマンは、世界で最も自分の働く会社を信用していないという結果が出ています。日本企業はいつのまにか、社員に嫌われる会社になっていたのです。



[図表2]国別の従業員忠誠度比較

 
会社と社員との間のエンゲージメント(絆)が失われてしまえば、残るのはただの利害関係です。社員は常に会社に搾取されていないかを気にするようになり、会社は社員に裏切られないかと社員を監視するようになります。そこまでいかなくても、もらっている給料以上に働くことをばかばかしく感じ、会社と社員とは労働契約によって結ばれた利害関係でつながっているにすぎないと冷めた考え方をするようになります。
 

実際、近年のブラック企業告発の流れやCSRやコンプライアンス重視の風潮には、このような会社と社員との関係の変化が背景にあります。このような時代の変化を最も鋭敏に感じているのが若手社員です。彼らは会社と社員とがファミリーであった時代を知らず、それを話として聞いても、うらやましいとは思いません。それよりも、労働契約にのっとって有給休暇を何の遠慮もなく取得できたり、サービス残業を拒否できたりすることのほうを望みます。
 

言い換えれば、昭和を引きずるベテラン社員と、平成生まれの若手社員では、会社との関係性についての前提条件が異なります。
 

私が新人だった頃は、上司によく飲みに誘われましたし、誘われたらそれがどんな相手であっても二つ返事で参加していました。断るという考えはありませんでした。それはお酒を飲むのも、お酒の場で上司や同僚と会話をするのも楽しかったからです。しかし、今の若手社員には、会社の飲み会はそれほど楽しくないと感じている人もいるようです。いったい、彼らはどのような感性を持っているのか、どのような働きかけをすれば仕事のやる気が高まるのか、頭を抱えている管理職が大勢います。

「ハイコンテクスト」と「ローコンテクスト」の違い


より良いマネジメントをするためにはどうしたらよいのか。その答えを探してさらに古典をひもといた私は、文化人類学者エドワード・T・ホールの著書『文化を超えて』の中で、そのヒントを見つけました。

 

ホールは世界各国の文化を比較するなかで、コンテクスト(文脈)に注目しました。コンテクストとは、実際に言葉として話される内容に対して、言葉にされていないのにお互いに了解されている内容のことです。

 

ハイ(高)コンテクストな文化では、交わされる言葉以上に、お互いの関係やその場の状況や空気による理解が重要とされます。一方、ロー(低)コンテクストな文化においては、言葉にしなくては内容が伝わらないために、できるだけ精緻(せいち)にすべての情報を言語化なければなりません。

日本はハイコンテクストな「忖度(そんたく)」文化


ハイコンテクストな文化の代表として、ホールが例に挙げているのが日本です。島国であり、歴史的にも「鎖国」制度を採っていたこともあって、日本は同質性の高い文化ができ上がりました。アイヌや琉球人や在日外国人といった例外はあるものの、ほぼ同一民族で同一言語が話されている日本では、すべてをくだくだしく言語化しなくても、お互いに理解し合えるハイコンテクストな「忖度(そんたく)」文化が支配的でした。
 

たとえばホールは、1960年代に日本で長期滞在していたホテルで、何の説明もなく部屋替えが行われ、荷物が勝手に移動される経験をしました。アメリカ人であるホールにとって、事前の了解なく部屋を替えられたり私物に勝手に触られたりすることは、深刻なパーソナルスペースの侵害にあたりました。しかし、ホールは同じことをされても怒らない日本人を見て気づきます。
 

日本においては、どこかに「所属」することが何よりも重要であり、ホテルに所属した客は「ヨソ者」ではなくなり、ホテルの一員として家族扱いを受けるのです。それはホテルの「おもてなし」であり、そうなって初めて客もリラックスできます。事前に了解を得ることもなく部屋を替えるのも、荷物を勝手に移動するのも、家族の一員として扱っていることを示すホスピタリティーだったのです。
 

なるほど、家族であれば、いちいち了解を求めるようなことは「水臭い」と捉えられるかもしれません。親は子どもに「掃除のためにあなたの部屋に入ってもいいですか?」と尋ねることはないでしょう。それは家族間の暗黙の了解でOKとされているからです。
 

しかし、アメリカではたとえ親子であっても、勝手に部屋に入ったり、無断で家に人を呼んだりするのはルール違反だとみなされます。それだけ個人が尊重されているのでしょうし、言葉にして了解を得なければ深刻な問題になるかもしれないからです。

「いったん財布を出す女性」もハイコンテクスト?


移民が多く多文化が共生するアメリカや、周辺諸国と地続きで多民族が暮らすドイツは、ローコンテクストな文化の代表です。そこでは、相手がどう感じているのか、何をしたいのかをいちいち言葉で確認しなければ分からないものとされていますし、自分の意向や意見もまた、丁寧に言葉で説明しなければならないとされています。それができない場合には、不気味なヨソ者とみなされてしまうのです。
 

たとえば、日本では男性が女性を食事に誘ったときに、暗黙の了解で男性が支払い、女性もそれを期待しているとされています。そのため、割り勘を求められた女性が、その場ではにこやかにしつつも、あとからネットなどで「信じられない」と愚痴っているのを見ることはよくあります。


このようなハイコンテクストな文化が度を超すと「せっかくお手洗いに立ったのに、その間にスマートに支払いを済ませておかない男性は駄目」だとか「女性はおごってもらうつもりでも、いったんは財布を出して支払う姿勢を見せるのがマナー」だとか、謎の忖度合戦が繰り広げられます。
 

ところが、ドイツ人男性とデートをした日本人女性によれば、食事のときにストレートに「私はおごってもよいと思っているが、あなたはどう思っているのか。もしおごってほしいのであれば、そう言ってほしい」と言われたそうです。
 

日本人の会議が長引く「本当の理由」とは?


ハイコンテクストとローコンテクストは、ハイ(高)とロー(低)の名前がついていますが、それらはコンテクストの多寡(たか)を表すものであっげ、優劣を示すものではありません。どちらが良い悪いではなく、ただ文化によって表現方法に違いがあるということです。

ありていにいえば、ハイコンテクストの文化は「聞き手中心主義」のコニュニケーションといえます。

ハイコンテクストのコミュニケーションでは、言葉による説明が少ないために、どのように理解するかは聞き手次第になりますから、コニュニケーションの責任は聞き手に委ねられます。そのため、日本では十分な説明をしなかったとしても、理解できない相手のほうを「分からんやつだ」と責める傾向があるのです。

ハイコンテクストの文化では、聞き手はコミュニケーションに参加する前にその集団における明示されないルールを情報収集し、場の空気を読むことに専念しなければなりません。

日本では初対面の人同士で話し合うときに、時候のあいさつなどを交わしながらその場のルールを探り合わねばなりません。そこでは、単刀直入な話は好まれません。会議が長引くのはそのためです。皆がどのような結末を望んでいるかの空気を読んで、予定調和の結末に持っていかねばなりません。
 

「上司より先に帰ってはならない」の終焉!?


一方、ローコンテクストの文化は「話し手中心主義」です。どれだけ丁寧に言葉を尽くして相手に理解させるかが問われるので、コミュニケーションが伝わらなかった場合の責任は話し手にあります。相手が理解できなかった場合は、話し手の表現が悪かったのであり、聞き手が責められることはありません。

話し手は自分の意思をはっきりさせねばなりませんし、相手が理解したかどうかをきちんと確認する必要があります。「言わなくても分かると思っていたのに」は通用しませんから、自分の発言や言動にはしっかりと責任を取ることになります。

たとえば日本では会社に電話をかけて「Aさんはいますか?」と言えば、それだけでAさんに取り次いでもらえます。しかし英語ではそのような場合、通常は「Aさんと話せますか?」と表現します。どちらも慣用句ですが、もしも日本文化に馴染みのない人が電話を取った場合、何を要求されているのか戸惑うかもしれません。

グローバル化時代を迎えて、日本でもハイコンテクストな表現がだんだんと通じなくなってきました。たとえば、ホールが1960年代に体験した日本のホテルの無断の部屋替えも、現代の日本では起こりにくいことだと思います。会社組織においても「上司より先に帰ってはならない」とか「先輩が有給休暇を申請するまでは、後輩は申請してはならない」とか「残業時間が法定時間を超えたらサービス残業にする」とか、そのような価値観が残っていたとしても、「分かっているよな」で言外に強制されることは少なくなってきたように思います。

ハイコンテクストの表現を理解するためには、その場で発せられる言語以外にもさまざまな情報を持っていなければならないため、子どもや外国人などの異文化人に優しくないのです。そのため、最近はおおやけに使われることは少なくなってきました。


ハイコンテクストとローコンテクスト、それぞれの特徴


ハイコンテクストとローコンテクストの、それぞれの特徴は次のようになります。


ハイコンテクストの特徴

①直接的表現を避け、あいまいな表現を好む

例1「いつもお世話になっております。今後ともよろしくお願いいたします」

例2「Aさんってちょっとアレだよね」「あー、うんうん、分かるー」


②すべてを話さないで、行間や紙背を読ませる

例1「君のように優秀な人材は我が社にはもったいない(もっと大手で働いたほうがいいと思うよ)」

例2「誘ってくれてありがとう! 行けたら行くね!」
 

③論理中心ではなく、情緒的表現を好む(論理的飛躍の許容)

例1「我が社はBさんでもっているようなものですから、今回もいいところを見せてくださいよ」

例2「風邪をひいたくらいで休むな。気合いで出社しろ。仕事していれば元気が出る」

ローコンテクストの特徴


①直接的で分かりやすい表現を好む(アメリカのドラマを参考に)

例1「君はクビだ。今日中に荷物をまとめて出て行ってくれたまえ」

例2「私はあなたを世界でいちばん愛しています 

②言葉を重視して、分かりやすい論理で意図を伝える

例1「ターゲットが若者なので、若者に受けるコピーにしました。年配の方には共感されないと思います」

例2「私はトマトが苦手なので、作っていただいたこの料理は食べられません」

③論理中心に直線的でシンプルな表現を好む。寡黙であることは評価されず、論理的飛躍は許されない。

例1「Aさんはマンションを購入して住宅ローンを抱えたので、多少無理を言っても
会社を辞めることはないでしょう。この件はAさんに頼むことにしましょう」
 

例2「今日が人生最後の日だとしても、それをやりたいと思えることであれば、挑戦
する価値はあります」

このように見ていくと分かるように、ハイコンテクストのコミュニケーションは、お互いによく知った間柄で、長年深い付き合いを続けている同士には適しています。

一方、ローコンテクストのコミュニケーションは、お互いのことをあまりよく知らず情報格差があったり、母語がそれぞれ別々で会話に誤解が生じやすかったりする、異文化間コミュニケーションに適しています。


シニア社員と若手社員では、ここまでの「差」がある


ここまで言えば分かると思いますが、シニア人材のマネジメントにはハイコンテクストのコミュニケーションが、若手社員のマネジメントにはローコンテクストのコミュニケーションが適しています。

なぜならば、すでに仕事の経験も豊富で会社の文化にも熟知しているシニア人材は、知っていることをドヤ顏で説明されることを嫌がり、すべてを任されることを好むからです。一方、仕事についても会社についてもあまり知らない若手社員は、逆に何も説明されないことに不安を覚えます。そのため、できるだけ具体的に、仕事の指示内容を説明してあげるのがよいのです。

これが逆になると、最悪のコミュニケーション不全が起こります。若手社員に対して、こちらの意向を忖度して勝手に動くことを求めても、たいていは失敗に終わりますし、シニア人材に対して「あれをしてください、これをしてください」と指示を出すと、「若造が何を言うか」と、相手の機嫌を損ねてしまいます。

*


西村 直哉

株式会社キャリアネットワーク代表取締役社長
人材育成・組織行動調査のコンサルタント 

1961年生まれ。大学院卒業後、人材育成・経営コンサルティング会社を立ち上げ、「人材アセスメント」「組織行動調査」などの各種調査と、その結果に基づく人材育成コンサルティングに約30年以上従事。2012年、株式会社キャリアネットワークが人材教育を基幹事業としたことをきっかけに代表取締役に就任。 キャリアデザイン研修、ダイバーシティマネジメント研修、働き方改革研修など多数の講師実績を持つ。



新型コロナは弱毒化したのか|弱毒化とは?



引用記事は、今、最も関心の高いテーマについてです。周辺事項を丁寧に説明していて全体に分かりやすい。

基本を理解すれば簡単な理屈。

強毒性のウイルスは感染している相手(人)を破壊してしまうので、感染先の人が死ぬと自分も死んでしまい、感染を継続できない。強毒性ウイルスが生き残るには、相手が死ぬ前に感染先を見付けなければいけない。最初の流行で学習した人間側は隔離を徹底して感染機会を与えてくれない。結果、強毒性ウイルスの生存確率は低くなる。

第2波の死亡者が第1波と比べて 少ない理由だ。

しかし、

大事なことは変異性。弱毒化しているウイルスは条件が整えば簡単に強毒化する。ウイルスの持つ戦略は単純ではなさそうだ。

戦略①:

  • 短時間に多くの感染先が存在する環境。 多くの人と短時間で接触する。密集でなくて構わない。移動。これらは強毒化変異を促す筈だ。
戦略②:
  • 長時間潜伏。忘れた頃に発症。これは最初からこの新型コロナの特徴だが、更に静かにさらに長期間の潜伏へ変異している可能性あり。
戦略③:
  • サイレンスキラー。発症しさせないでダメージを残していく。ダメージを与える臓器・ダメージの与え方が直ぐに宿主に致命的なものを回避する毒性。一見、重症化しないから、長期間のウイルス感染状態が続く。
  1. 3つの戦略が同時進行している可能性もある。



⇒|新型コロナウイルス弱毒化の正しい理解?




 

https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/61663

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新型コロナは弱毒化したのか


「東京型」コロナウイルスの出現でコロナとの戦い方は変わるのか
2020.8.12(水)

(作家・ジャーナリスト:青沼 陽一郎)

 今年の夏は、いつもと違う。いうまでもなく、コロナ禍にあるからだ。

 いわゆる水際対策の遅れから、中国湖北省武漢市で昨年12月に確認された新型コロナウイルスが日本に上陸すると、国内で感染が拡大し、4月には改正新型インフルエンザ等対策特別措置法に基づく緊急事態宣言が発出された。その効果もあってか、5月には感染拡大も終息の方向に向かったが、6月から経済活動を再開すると、東京を中心に再び感染が広まっている。

国と地方の方針バラバラで困惑する国民


 東京都では7月に入ると、1日ごとの新規感染者数が100人、200人、300人と増え続け、ついには400人を超えるようになり、8月には3桁を割らない日はなくなった。これに連鎖するように全国でも感染者が急増している。

 しかし、政府は感染予防を呼びかけるだけで無策だ。

 9日に会見した安倍晋三首相は、緊急事態宣言の再発令に慎重な考えを示し、現状について「感染者数の増加に対し、入院や重症化する方々の割合は低い状況が続いている」と言い訳する。菅義偉官房長官も「大事なのは重症者の数だ」と会見で繰り返す。確かに、東京都でピーク時に105人だった重症者が、8月には20人前後で収まっているなど、不思議な状況が続く。それをいいことに、むしろ経済活動を促進させるため、7月に東京を除外してはじめた「Go To トラベル キャンペーン」を継続している。

 この状況に、小池百合子東京都知事は8月3日から、都内の飲食店とカラオケ店の営業を夜の10時までとするように要請。さらには、このお盆の帰省を控えるように呼びかけた。東北をはじめ複数の県知事も、東京からの帰省を自粛するように表明している。ウイルスを持ち込まれたくないからだ。それでも安倍首相は、9日の会見でお盆の帰省は「一律の自粛を求めるものではない」としている。

 国と地方の政策はまったくあべこべになっている。結局、帰省を控えるべきなのか、個人の判断に委ねられることになり、コロナ対策の先行きが不透明になっている。

 ところが、ここへきて“打つ手なし”の安倍政権に、「神風」が吹きそうなことが起きている。

*

https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/61663?page=2


コロナウイルスは弱毒化した?


 国立感染症研究所が今月になって公表したところによると、緊急事態宣言が解けたあと、6月から東京を中心に感染が拡大した新型コロナウイルスは、それまでのものと遺伝子配列が変化している、というのだ。いわば、ニュータイプの「東京型」とでも呼ぶべきウイルスに変容したものが、全国に急拡大しているのだ。

 国内で最初の感染者が見つかったのは、今年1月のことだった。この時は発生源とされる武漢市から持ち込まれたタイプのものだった。この「武漢型」が欧州に伝播すると、そこで遺伝子配列に変化が起こり、3月には欧州からの帰国者が持ち込んだ「欧州型」が、日本国内で同時多発的なクラスターとなって感染が広まった。これに対して、日本は緊急事態宣言で立ち向かい、一旦は収束に向かった。

 ところが6月から、東京を中心にクラスターの多発が見られるようになったウイルスは、ゲノム情報を分析すると、欧州型から突如として変化、拡散したものであることがわかったのだ。

 国立感染症研究所によれば、この新型コロナウイルスの遺伝子配列は、1年間に24.1カ所が変化するとされる。1カ月だと2カ所になる。6月に確認された「東京型」は、3月に国内で確認された「欧州型」から、6カ所が変化していた。3カ月で6カ所だから、この変異のスピードにも合致している。しかも、いまでは「武漢型」は確認できていない。いま日本には第3のタイプが、経済活動の再開と同時に地方出張などによって、全国に拡大していったことになる。

 ただし、遺伝子の配列の変化だけでは、人体にどのような影響の変化をもたらすのか、判断はできない。臨床や疫学調査が必要になってくる。

 そうすると、若者を中心に軽症もしくは無症状で感染が拡大していく現状を照らし合わせると、検査実施数が増えた、あるいは医療現場が修練された、という事情があるにはせよ、全体的に感染力が増して、重症化しにくい傾向にあるようにうかがわれる。

 国立感染症研究所が遺伝子配列の変化を公表する8月5日以前には、こうした状況判断だけで、ウイルスは弱毒化しているのではないか、という声がSNS上であがり、一部で報道もみられた。これに専門家は科学的な根拠はないとして、否定的な見解を示していた。検査数が増え、以前に比べて軽症者や無症状の感染も発見できるようになったため、感染者全体に占める重症者の割合が小さく見えるだけだ、と主張していた。

 だが、それでは重症者の数そのものが減っている説明にはならない。

 だからといって、遺伝子配列の変化がすぐさま弱毒化の証明につながるものでもない。
“旧型”コロナウイルスの感染症は「ただの風…

*

https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/61663?page=3

 しかし、もしも実際にウイルスの変化によって重症化しにくくなっているのならば、「大事なのは重症者の数だ」と繰り返して、経済活動の再開を推し進めた政府の方針には追い風となる。

 いや、それどころではない。感染者が多くても、重症化しにくく、軽症もしくは無症状で済んでしまうとなると、もはやこれは「ただの風邪」のレベルになってしまう。

“旧型”コロナウイルスの感染症は「ただの風邪」


 新型コロナウイルスというだけに、旧来のコロナウイルスも存在する。それが4つのタイプがあった。そこにSARS(重症呼吸器系症候群)が加わり、次にMERS(中東呼吸器症候群)が加わって、今回で7つ目のコロナウイルスが確認されたことになる。旧来の4つのタイプに感染すると、これが「風邪」の症状となって現れる。もちろん「ただの風邪」といってもこじらせると肺炎にもなるし、生命の危機に瀕することもある。

 新型コロナウイルスが変異を繰り返して、勝手に弱毒化して、ただの風邪と同じことになってしまえば、後手後手にまわり、いまやほぼ無策ともいえる政府方針に味方することになる。ただの風邪が「カミカゼ」に変わる。戦後75年の夏に吹く「神風」だ。

 ただ、それで済まされることだろうか。ウイルスは変異する。1カ月に2カ所の遺伝子配列が変わる。それが突如として強毒化する可能性も秘めている。その時に、無策であっていいはずもあるまい。




⇒|新型コロナウイルス弱毒化の正しい理解?



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