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松野博一 官房長官のマスク着用についての発言「屋外では必ずしも必要ではない」が注目されている。
日本語の文法的な問題として意味的に「必ず」が重複しているという指摘がある。
しかし、この指摘は的外れ。
松野は「マスク着用は必要ありません」とは言えなかったと言うことだ。「マスク着用は必要ありません」とは言いたくなかったという方が正しいだろう。「必要ない」と言い切ることはできない。あるいは言い切ることはしたくない。
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絶対に必要とは言ってませんよ。これが松野の態度。
必要か必要でないかはそれぞれ自己責任で判断して下さい。これが松野の本音。要するに責任回避の姿勢。そういう奴は大臣などならなくてよいのに。
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結局「必ずしも必要でない」って必要なの?
もし誰かが「「必ずしも必要でない」」と言ってきたら、それは「私は拘らない。ご自由にどうぞ。(勝手にしろ!)」と言っているのだ。勿論、「そのチョイスによって得られた結果については自己責任ですよ」と。「私はその論争から降りた」と言うことだ。
では、その誰かが政府だったら?。
話は簡単でなくなる。何故なら、政府には”降りる”という選択が許されないからだ。馬鹿総理は就任早々自助共助公助なんて言い始めて責任回避の姿勢を明確にしたが、その延長の発想だろう。
時間が経っても人が変わっても馬鹿が抜けない政府だ。
人の動きを戻して経済活動を戻したい本音を政府の自己責任にはしたくない。国民には自己責任と言う割に政府は責任を取りたくない。見下げた奴だ。リーダーシップに欠けた岸田文雄の内閣はこうなるものだ。
本来は政府の責任事項を国民に転嫁する方便が冒頭の「「必ずしも必要でない」」ということだ。
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