麻生太郎の「民度」発言に噛みつくのは非生産的


  • 民度

 

新型コロナウイルス感染症と「民度」 の話は麻生太郎が日本の自慢話のように披露して、喝さいを浴びたのか、顰蹙を買ったのか、よく分からないが、日ごろ使う機会の少ない「民度」という言葉に古臭さを感じた人もいるだろう。


民度とは何か、ユニークな視点で解説している記事が流れてきたが、内容は十分納得できるものではあるものの、何かしら詰まらない。

 

因みに、民度はどのように英訳されているか(「民度」の英訳)を見ると、実は様々でぴったり来るものがない。というか、むしろ麻生太郎の言語明瞭意味不明 の1つで恐らく本人すら正しい理解には至っていないだろう。


COVID-19による死亡者の数が今のところアジアの国々では欧米に比べて極端に少ない理由はよく分からないため、山中伸弥はファクターXで済ましていたものだ。

 

麻生太郎は日本固有の要素を強調したかっただろうが、ほかのアジア国の死亡率は日本よりさらに低い。だから、死亡率が極端に低いベトナムは、日本より更に民度が高いと麻生太郎は思っているのかも知れない。

 

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記事の池田清彦は従順=民度は間違いで、自立=民度が本来ではないかと主張しているように見える。

 

民度論議(定義など)はどうでもいいことだが、自分で考えて自分で行動することの大切さについては何の疑問もない。 


ただ、経験のない問題については、勝手に考えて勝手に行動することの是非は残る。だから、このような新しいタイプの感染症は始末が悪いのだ。その一方で、前例に沿う頭しかない官僚にも手に負えないものだから始末が悪い。

 

今回COVID-19は、しっかり考えて正しい方向を提示すべき専門家とされた連中の無能が最大の問題だ。彼らは議事録の公表すら拒否する無責任・無能力を露呈させて尚無反省なのだ。 政治システムの欠陥を認めて改革に動く気配は何もない。

 

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記事写真の麻生太郎の顔にはマスクがない。小さなフェイスシールド(マウスシールドと言うらしい)で済ましているが感染症対策に対する効果は殆ど期待できないものだ。 麻生太郎の民度は相当低いようだし、こいつを担ぐ人たちの民度はさらに低いのかな?。

 

自粛期間中にパーティを開く自民党の政治家や、 私は関係ないと花見や旅行に出かける某総理夫人とかの民度も怪しいものだ。

 

しかし、池田清彦によればこの身勝手な連中の民度は高いことになるのかな。


民度論議はあまり生産的では無さそうだ。


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本来、民度とは、為政者が法治国家実現のために必要と考えた教育水準のことだ。西欧列強に伍する文化科学技術を獲得するための要件として理解していたものだ。小資源の日本では人は国家なり!かな?。


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https://president.jp/articles/-/38353

2020/08/29 9:00

「コロナ死者が少ない日本は民度が高い」といった麻生太郎氏に日本人は怒るべきだ 「コントロールしやすい」と同じ意味

PRESIDENT Online

    池田 清彦
    早稲田大学名誉教授


日本は「民度」が高いから新型コロナの死者が少ない、他国は民度が低いから死者が多い。国会で麻生太郎財務相がこう発言し、物議をかもした。生物学者で早稲田大学名誉教授の池田清彦氏は「政治家の言う民度の高い国民とは、自分たちの言うことをおとなしく聞く国民を指している。それでいいのか」という——。

※本稿は、池田清彦『自粛バカ』(宝島社)の一部を再編集したものです。

 


 閣議に臨む安倍晋三首相(左)と麻生太郎副総理兼財務相=2020年8月4日、首相官邸


麻生財務相「おたくとうちの国とは国民の民度のレベルが違う」発言


日本のコロナの死亡者数がアメリカやヨーロッパより少ないことについて、財務大臣の麻生太郎がこんなバカなことを言っていた。

「『コロナの死者数が多い国から何か特別な治療薬でもあるのか』とよく電話がかかってきたが、『おたくとうちの国とは国民の民度のレベルが違う』って言ってやるとみんな絶句して黙る」

マスコミで取り上げられたのはこの6月4日の参院財政金融委員会の発言だが、毎日新聞によると、実は2カ月前(4月6日)の参院決算委員会でも「アメリカやら何やらに比べりゃ、はるかに日本の自粛のほうが効果ありますからね。アメリカ人に対して『俺たちは民度が高いからだ』と言ったら笑っていましたけれど」と述べていたという。

麻生太郎は、政府の言うことを聞かないやつばかりの国は民度が低い、お前らの国は国民がちっとも言うこと聞かないじゃないか、だから感染が拡大するんだと言いたいわけだ。


自分たち(政府)の言うことをおとなしく聞く国民ということ?


しかし、政府の言うことを聞かないというのは、自分の頭で判断して行動しているわけだから、それは自立性が高いということで、むしろ民度が高いのだ。

ところが、麻生に限らず、政治家の言う民度の高い国民とは、自分たちの言うことをおとなしく聞く国民を指している。つまり、コントロールが利く国民=国民の民度が高い、ということだ。学校で先生の言うことをよく聞く優等生は民度が高く、反抗ばかりしている不良は民度が低いと言いたいわけだ。

しかし、反抗したり学校をサボったりする生徒は民度が低いのか。反抗的な生徒は自分で判断して学校をサボり、教師の言うことを聞かないわけだから、自分の頭で考えている分だけ民度は高いと思う。

たとえば、遊牧民のマサイ族は、自国も国境もなく、そういうなかで勝手に生きている。自分たちの力だけで全部やり、自立して生きている。民度が低いなんて言われたらマサイ族は怒るよな。民度が高いに決まっている。

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https://president.jp/articles/-/38353?page=2

2020/08/29 9:00

「コロナ死者が少ない日本は民度が高い」といった麻生太郎氏に日本人は怒るべきだ 「コントロールしやすい」と同じ意味

PRESIDENT Online

    池田 清彦
    早稲田大学名誉教授


本当に日本人の民度は高いと言えるのか?


一方、現代人、とくに日本人は、自分の頭で考えることができず、自分の力だけでは生きていけない。正確に言えば、本当は自分の力で生きていけるかもしれないが、自分で生きていけないようなところに追い込まれていったのだ。

昔の人は、自分で井戸を掘って、野菜をつくり、ニワトリを飼って、それでなんとか生きていけた。当然、地震や豪雨とかの自然災害が起きたら困るけれど、村人や近隣の人が総出で新しい井戸を掘り、それでうまく掘れたら「やった!」とみんなで喜ぶ。

そうやって地域が協力して生きていた。こうした生活では村八分がいちばん怖く、村八分にされると自分の家の屋根の藁も葺けなくなってしまう。生き死にに関係した。現在は村八分にされても金さえあればまったく困らない。そのほうが面倒な人間関係がなくてありがたいという人もたくさんいる、自己家畜化から脱するために日本の村落共同体の伝統は、共同体が自立するためには、個々人が一人で自活するのは大変だから、少数のグループをつくって困ったときは相互扶助しようというものだった。

そういう伝統が戦後しばらくは日本にもあった。私の家も小学生ぐらいまでは貧乏で、うちだけじゃなく周りもみんな貧乏だから、夕飯時に「あ、醤油がない」となったら隣から醤油を借りる。「すみません、醤油切れちゃったんでちょっと貸してくれませんか」と醤油の瓶ごと借りてくると、チョチョチョンってかけて「すみません、ありがとうございます」って返してくる。


電話は地主さんの家にしかなく、誰かからかかってくると、「池田さん、電話だよ」なんて呼びに来てくれて、こっちは「すみません」と飛んでいく。地域社会では何かあったらここへ電話して呼び出してくれという扶助システムがあり、地主さんもそういう電話の取り次ぎが半分義務みたいになっており、それで何も問題がなかった。

相互扶助が嫌だという人もいるけれど、そういうシステムにしなければ生活できなかったんだよ。現在でも若い世代で限界集落に移り住み、物々交換のような相互扶助生活を送っている人たちがいる。

それは権力にとって恐ろしいことなので、なるべくなんらかの大義名分によって国民の自立を阻止しようとする。たとえば、政府がやっている地域再生制度というのは特産物の開発や観光促進などで、結局は拝金主義なんだ。お金を呼び込むためにやっている。

そんなやり方では家畜から抜け出せない。現金がなくても生きていけるから自立であって、だからこそ革命的なんだよ。


「お金を稼ぐこと=自立」脱自己家畜化できぬ日本人は絶望的に民度低い


自己家畜化を脱するためには自分たちの力で生活していけるシステムを小さな集団でつくるのがいちばんいいのだけれど、多くの人はお金を稼ぐことが自立だと思っている。それでは自己家畜化から脱することはできない。そういう意味では、もう絶望的に民度が低い。

けれども、政治家側に立てばこんなにコントロールしやすい国もほかにない。法律で決めたわけではないのに、みんな政府の言うことに唯々諾々と従い、(コロナ)自粛期間中は大半の人が出歩かなかった。私自身は歳だから出歩かなかったけれど、様々な事情で出かけなければならない人もいる。しかし、出歩くのがよくないという風が吹いてきた途端に、みんなでバッシングするのだから、本当に情けない国だと思うよ。


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