COVID-19を只の風邪と言う無責任?



何を言いたいのかよく分からない。言い回しがトリッキーで混乱する。分かる日が来るかも知れないが、今は分からない。 

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未知のウイルスだからみんな騒いでいるけど、所詮は只の風邪に過ぎない。人々は騒ぎ過ぎ、恐れ過ぎと言っているように聞こえる。

根拠のないバカ騒ぎは止めろと言っているのかな。 

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こんなことを言って、この人が何か責任を負うことはない。

テレビに出る人では、志村けん。大場久美子。無名の人ならその何十倍も命を失っている。海外に目を向ければ、更に桁違いに多くの人が無くなっているのは誰もが知っていることだ。

海外で只の風邪に過ぎない旨の発言をしたら、無事で収まらないだろう。

日本人は大丈夫!?。

現時点のデータでは致死率は低い。明日もきっと大丈夫でしょう。ずっと大丈夫ならいいが、確信などある筈がない。だれも疑心暗鬼。

この只の風邪と言う人は、他人に言う前に自分で新宿ホスト街をマスクも何もしないで次々と飲み歩いてみてはどうかな。

一見風邪のように見えても、心臓に後遺症が残る報告が出ている。後遺症は心臓に限らない。

ただの風邪ならいいのにという願望を持つのは構わないが、メディアを使っての根拠のない流布でしかなければ、いつしか釈明に追われるだろう。

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アゴラって他にも変な記事が出ていたけど、編集チェックが甘いのかな。 玉石混合かな。

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http://agora-web.jp/archives/2047607.html


新型コロナは、誰も罹ったことがなかった「ただの風邪」 --- 中村 哲也

2020年08月14日 06:00

ゲストオーサー

新型コロナが、「ただの風邪」かについての様々な議論があるが、私の頭の中の整理を書いてみたい。

 

写真AC:編集部



最初に結論を言うと、新型コロナは、誰も罹ったことがなかった「ただの風邪」である。ここでの「ただの風邪」とは、ウィキペディアの「風邪」の定義とほぼ同じとする。

「誰も罹ったことがなかった」と「ただの」は矛盾するので、厳密には、「誰も罹ったことがなかった風邪」であるが、この稿では、「風邪」を「ただの風邪」と表現することをご容赦頂きたい。

なお、私は医学方面の専門家ではないので、以降お読みになるのであれば、それを前提として頂きたい。

さて、「誰も罹ったことがなかった」については、異論のある方はごく少数であろう。今回、この「誰も罹ったことがなかった」が、大きく2つの問題を引き起こした。

ひとつは、「誰も罹ったことがなかった」ことにより、抵抗力のない人がかなりな数に上り、感染が広く速く拡大したことである。

また、バイタルや免疫力が低下した方にとっては、最後の一線を越える直接的原因が一つ増えたことになり、当面は、未感染者が多いことから、危険な要因であろう。

もうひとつは、「誰も罹ったことがなかった」ことにより、ニュース性が大きく、マスコミがこぞって取り上げ、視聴率を稼げる方向へ放送内容がシフトした結果、多くの国民が、不安感を持ったことである。

元々、東京オリンピック関連のコンテンツを予定していた時期だったので、コンテンツの差し替えが必要で、各種の自粛が障害となり、番組制作は困難だったはずである。コロナ関連情報の取材活動については、唯一公共性が高いというエクスキューズがあったことも、コロナ関連の放送が多くなった一因だと思う。

そして、コロナに関する情報が埋蔵?される鉱山?に、ゴールドラッシュ?が起き、掘りつくされて、ごく小さなかけらにも大きな価値が生じるバブリーな状況となっている。テレビというのは常にコンテンツを必要とするもので、ほんのわずかな情報で「尺を持たせる」技術は磨き抜かれている。

本筋ではないが、最近、政府広報を様々な媒体で目にする機会が多くなった。必要な内容だとは思うが、その費用に関し、民間企業が支払っている単価と大きく乖離していないか心配である。

次に、「ただの風邪」かどうかの判断であるが、アゴラ執筆陣の多くの方の論評から、私は、致死率で考えることが妥当とし、季節性インフルエンザ程度のようなので、「ただの風邪」と整理した。少なくとも日本ではそう考えてよいと思う。

したがって、政府の「新型コロナウイルス感染症対策の基本的対処方針」において、新型コロナの特徴に関する多くの記述が、3月28日の策定時のままなので、これは更新すべきと考えている。

 科学的根拠ではないが、古くから「ただの風邪」と軽く考えることへの戒めとして「風邪は万病のもと」、「風邪をこじらせる」といった慣用句がある。

これは、新型コロナにもぴったり当てはまることから、新型コロナを「ただの風邪」といっても問題ないことを補強している。

新型コロナの感染パターンや、発症に関する特徴がインフルエンザとは異なるので、「ただの風邪」ではないと思う方もいるかもしれないが、風邪の原因となるウィルスや細菌は数多あり、おそらく、そのバリエーションの範囲ではなかろうか。

よって、新型コロナは、日本では、誰も罹ったことがなかった「ただの風邪」である。

中村 哲也   団体職員(建設分野)



終戦記念日に思う事


変わった視点の記事が流れてきた。変わったと言っても、ある意味では日本(日本人?)の常識 で誰でも知っている。日本人のマナーとして口に出すことはあまりしない。

貰ったものは感謝もなく懐に入れる。失ったものは難癖付けてでも奪おうとする。そういう韓国人、朝鮮だけじゃないのは知っているが、常識も良識もある彼らは口を開き声を出すことはない。集団暴行に合うからだ。

 こういう国、国民を共に歩もうと考えた戦前の日本人は全く見る目が無かったというべきだろうね。勝手に隣国隣人を掛け替えのない仲間と決めつけていたのだから救われない。恐らく必要なものは何でも供出していただろう。都合よく奪われるとも知らないで。

日本に来た韓国人朝鮮人に与えたものも半端ではなかったろう。それは戦後も続いていた筈だ。

ギブ&テーク。

韓国人はノーギブ・テークオンリー。ご都合なことだ。

韓国人の大人子ども、甘えの抜けない態度をず~っと我慢してきた連中もいるが、今は少ない。日本人の世代も変わった。若い戦後すら知らない日本人には韓国人の理不尽を黙って見ていることはしないし、かといって文化を否定している訳ではない。是々非々の態度。 

それもまた変わってきている。大昔の征韓とか嫌韓とかに通じるものがあるかも知れない。とても危険な状況だ。利用されるだけの付き合いに辟易しているし、もはやこれ以上関わりたくないと思う人ばかりだろう。居直り盗人?。

今日は終戦記念日。

馬鹿な政治に決別してリスタートする記念日だ。

感謝も尊敬もない幼く愚かなままの隣人とはちら強く決別する日だ。大人の付き合いをするんじゃない。軽蔑して反撃はするが、付き合うことはしない。もうウンザリなんだ。

そういう人のリスタートの日になるんだろう。

終戦記念日に思う事:

人それぞれだろう。

 /

 ※

https://bunshun.jp/articles/-/39563

日本は朝鮮半島に「10兆円の資産」を残した…75年前の終戦で韓国が得たもの

韓国人経済学者に聞く

黒田 勝弘
5時間前

source : 文藝春秋 2020年9月号


 1945年(昭和20年)8月15日の敗戦に際し、日本が朝鮮半島に残した資産はいかほどであったか。韓国の著名な経済学者の研究結果である『帰属財産研究』(李大根著、2015年刊)によると、当時の推計で52億ドルだという。現在の価値では約10兆円にもなる規模だ。

 同研究によると、この資産のほとんどは日本人の投資、開発によって形成され、これは35年間の日本統治時代および解放後の経済発展に寄与し、韓国社会を豊かにしたという。

 歴史的経緯でいえば日本資産は韓国ではまず進駐米軍が接収し、後に韓国側に譲渡され「敵産」といわれた。したがって財閥をはじめ現在の韓国企業には、この「敵産」をルーツとするところが結構ある。

©共同通信社 


恩を仇で返されたようなもの


「文藝春秋」9月号で著者の李大根・成均館大名誉教授(81)をインタビューしたが、話題は当然、日韓の外交懸案である、いわゆる徴用工補償問題におよんだ。

 李教授は「1965年の国交正常化の際の請求権協定で解決済み」という見解だが、とくに日本が残した膨大な資産のことを考えれば「今さら日本に補償を要求するというのは筋が通らないのでは……」という点で、筆者と共感しあった。

李大根・成均館大名誉教授



 今回の徴用工訴訟では日本製鉄が矢面に立たされている。日本製鉄が韓国のPOSCO(旧浦項総合製鉄)に持っている株の差し押さえが問題になっているのだが、日本製鉄からすれば「恩を仇で返されたようなもの」だろう。

 日本製鉄は朝鮮半島に資産を残しているし、POSCOは国交正常化後に日本から得た「請求権資金」と日本製鉄などの技術協力で誕生した企業だからだ。


*

https://bunshun.jp/articles/-/39563?page=2


反日主義が宗教化してしまった


 李教授は日韓でベストセラーになった『反日種族主義』の著者らが依拠する「落星台経済研究所」の先輩格でもある。

「(中国に似て)われわれにも昔から国家、民族、家門の利益のためには虚偽、歪曲、捏造も許されるという“倫理観”がある」という皮肉な自責感とともに「韓国では歴史に真摯に向き合うことを拒否する考え方が広まっている」と、学者としての危機感を語っている。

 ただ、歴史認識をはじめ「反日主義が“国教”のように宗教化」してしまった韓国の現状では、変化の展望は難しいという。それが現実の政治や外交まで左右し続けているのだから、インタビュアーも気が重い。それでも教授は「若い世代に期待するしかないでしょうね」というのだった。


◆◆◆

 黒田勝弘氏による李大根名誉教授へのインタビュー「徴用工に日本が補償する道理はない」の全文は、「文藝春秋」9月号および「文藝春秋digital」に掲載されています。

 出典:「文藝春秋」9月号


「希望していない」のに“アベノマスク”が次々届く?!

 

 

 「希望していない」のに“アベノマスク”が次々届く?!

 

「希望していない」のに“アベノマスク”が次々届く?!
 
 

「希望していない」のに“アベノマスク”が次々届く?!
13日 23時12分
 3月以降、介護施設などに配られた“アベノマスク”と同じ形の布マスク。先月、国は追加の8000万枚分を「希望する施設だけ」に配ることに。ところが今、「希望していない」事業者にも次々と届いています。一体、なぜ?
 
 
 ※
 
いつまで、バカノマスクを続けているの?
 
 

人は飼いならされる動物?「ハイコンテクスト」と「ローコンテクスト」

 

 

面白い記事だ。宣伝に一役買うことにしようかな。オリジナルサイト等でしっかり読み込んで。マネジャー、人事などの領域の人には必須の基本知識かも。

共有理解になっていれば、スムーズなコミュニケーションができるかもしれないが、そこに至るのがまた苦労かな。。

ペットを飼えばもっと正しく理解できるかも。

子供を育てても分かる。

マニュアル化した社会。

でも、欧米でもハイコンテキスト社会はがっちりあってよそ者が入っていくのは大変。マニュアルはあくまでのも外から来た人のためですから。

飼いならされない若者はいずれ淘汰されます。



https://gentosha-go.com/articles/-/28254



幻冬舎ゴールドオンライン人気記事ピックアップ

同じ仕事なのに…若手社員と昭和ベテラン社員の「絶望的な差」


西村 直哉2020.8.12

 

本記事は、人材育成・組織行動調査のコンサルタント西村直哉著『世代間ギャップに勝つ ゆとり社員&シニア人材マネジメント』(幻冬舎MC)より一部を抜粋・再編集したものです。

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最近の若者のやること、考えることが理解できない!

1961年生まれの私が新入社員だった頃は、仕事で上司から何かを指示された場合、返事は「はい!」しかあり得ませんでした。
 

ところが現在、若手社員に業務上で何らかの指示を与えると、「その仕事がどのような意味を持つのか説明してください」とか「なぜ私がその仕事に適任だと思われたのですか?」などと、平気で訊いてくるのです。


もちろん、仕事なのですから理由はあります。説明しろと言われれば、説明できないことはありません。しかし、心のどこかで「そんなつまらないことでおれの時間を奪うな」という気持ちが芽生えてしまうと述懐する管理職も少なくありません。
 

実際、説明をしたところで、彼らの仕事内容が変わるわけではないのです。説明を聞いてから「やりたくありません」と断る人にも、今のところ出くわしたことはありません。だとしたら、くだくだしい説明は省いて、さっさと仕事に取り掛かってほしいというのが、昭和を生きてきた管理職の本心です。
 

しかし、最近の若手社員は「とりあえず黙って命令に従う」ことをしません。たとえ、表面上はそうしたとしても、顔には不満の色が出ています。「背中を見て学ぶ」とか「仕事は教わらずに見て盗む」とか「3年は我慢して働く」とか、そういった旧来の丁稚奉公(でっちぼうこう)の価値観は古くなってしまったようです。

 
最近の若手社員は「とりあえず黙って命令に従う」ことをしない。 (写真)PIXTA


 
あまり昔のことばかり言うと嫌われてしまいそうですが、私が若い頃は「若手社員は会社の利益に貢献していないから、一人前になるまでは自己主張せずに滅私奉公(めっしほうこう)するべし」と言われていましたし、それを当たり前と受け入れる感覚がありました。しかし、今の若手社員の多くには、良きにつけ悪しきにつけ、そのような前時代の常識が通用しません。

 

「丁稚奉公」の論理が成り立ったのは、終身雇用と年功序列が保証されていて、若いうちは低い給料で我慢していても、年を取ったときにその分をプラスして厚遇してもらえると期待できたときだけです

 

 

([図表1]ホステージ理論)。

 

しかし、読者諸賢もご存じのように、日本企業からは社員に終身雇用を保証するだけの体力が失われてきました。大手電機メーカーのリストラや身売り騒動を見るにつけ、若い人が企業に対する信用を失うのも無理はないと感じます。

 
その結果、たとえ正社員といえども、若手のうちはいつでも転職が可能であるし、それを悪いとも思わないような風潮ができてしまいました。端的にいえば、会社に対する忠誠心がなくなったのです。

 
アメリカの人材コンサルティング会社が2013年に行った「従業員忠誠度(employee engagement)の各国比較」によれば、日本の社員で「会社に強く忠誠心を感じている ((highly engaged)」と回答した人の割合は、調査対象国中で最低の9%でした。


一方、「会社に反感を持っている」と回答した人の割合は調査対象先進国中で最高の33%でした。別の調査でも、日本のサラリーマンは、世界で最も自分の働く会社を信用していないという結果が出ています。日本企業はいつのまにか、社員に嫌われる会社になっていたのです。



[図表2]国別の従業員忠誠度比較

 
会社と社員との間のエンゲージメント(絆)が失われてしまえば、残るのはただの利害関係です。社員は常に会社に搾取されていないかを気にするようになり、会社は社員に裏切られないかと社員を監視するようになります。そこまでいかなくても、もらっている給料以上に働くことをばかばかしく感じ、会社と社員とは労働契約によって結ばれた利害関係でつながっているにすぎないと冷めた考え方をするようになります。
 

実際、近年のブラック企業告発の流れやCSRやコンプライアンス重視の風潮には、このような会社と社員との関係の変化が背景にあります。このような時代の変化を最も鋭敏に感じているのが若手社員です。彼らは会社と社員とがファミリーであった時代を知らず、それを話として聞いても、うらやましいとは思いません。それよりも、労働契約にのっとって有給休暇を何の遠慮もなく取得できたり、サービス残業を拒否できたりすることのほうを望みます。
 

言い換えれば、昭和を引きずるベテラン社員と、平成生まれの若手社員では、会社との関係性についての前提条件が異なります。
 

私が新人だった頃は、上司によく飲みに誘われましたし、誘われたらそれがどんな相手であっても二つ返事で参加していました。断るという考えはありませんでした。それはお酒を飲むのも、お酒の場で上司や同僚と会話をするのも楽しかったからです。しかし、今の若手社員には、会社の飲み会はそれほど楽しくないと感じている人もいるようです。いったい、彼らはどのような感性を持っているのか、どのような働きかけをすれば仕事のやる気が高まるのか、頭を抱えている管理職が大勢います。

「ハイコンテクスト」と「ローコンテクスト」の違い


より良いマネジメントをするためにはどうしたらよいのか。その答えを探してさらに古典をひもといた私は、文化人類学者エドワード・T・ホールの著書『文化を超えて』の中で、そのヒントを見つけました。

 

ホールは世界各国の文化を比較するなかで、コンテクスト(文脈)に注目しました。コンテクストとは、実際に言葉として話される内容に対して、言葉にされていないのにお互いに了解されている内容のことです。

 

ハイ(高)コンテクストな文化では、交わされる言葉以上に、お互いの関係やその場の状況や空気による理解が重要とされます。一方、ロー(低)コンテクストな文化においては、言葉にしなくては内容が伝わらないために、できるだけ精緻(せいち)にすべての情報を言語化なければなりません。

日本はハイコンテクストな「忖度(そんたく)」文化


ハイコンテクストな文化の代表として、ホールが例に挙げているのが日本です。島国であり、歴史的にも「鎖国」制度を採っていたこともあって、日本は同質性の高い文化ができ上がりました。アイヌや琉球人や在日外国人といった例外はあるものの、ほぼ同一民族で同一言語が話されている日本では、すべてをくだくだしく言語化しなくても、お互いに理解し合えるハイコンテクストな「忖度(そんたく)」文化が支配的でした。
 

たとえばホールは、1960年代に日本で長期滞在していたホテルで、何の説明もなく部屋替えが行われ、荷物が勝手に移動される経験をしました。アメリカ人であるホールにとって、事前の了解なく部屋を替えられたり私物に勝手に触られたりすることは、深刻なパーソナルスペースの侵害にあたりました。しかし、ホールは同じことをされても怒らない日本人を見て気づきます。
 

日本においては、どこかに「所属」することが何よりも重要であり、ホテルに所属した客は「ヨソ者」ではなくなり、ホテルの一員として家族扱いを受けるのです。それはホテルの「おもてなし」であり、そうなって初めて客もリラックスできます。事前に了解を得ることもなく部屋を替えるのも、荷物を勝手に移動するのも、家族の一員として扱っていることを示すホスピタリティーだったのです。
 

なるほど、家族であれば、いちいち了解を求めるようなことは「水臭い」と捉えられるかもしれません。親は子どもに「掃除のためにあなたの部屋に入ってもいいですか?」と尋ねることはないでしょう。それは家族間の暗黙の了解でOKとされているからです。
 

しかし、アメリカではたとえ親子であっても、勝手に部屋に入ったり、無断で家に人を呼んだりするのはルール違反だとみなされます。それだけ個人が尊重されているのでしょうし、言葉にして了解を得なければ深刻な問題になるかもしれないからです。

「いったん財布を出す女性」もハイコンテクスト?


移民が多く多文化が共生するアメリカや、周辺諸国と地続きで多民族が暮らすドイツは、ローコンテクストな文化の代表です。そこでは、相手がどう感じているのか、何をしたいのかをいちいち言葉で確認しなければ分からないものとされていますし、自分の意向や意見もまた、丁寧に言葉で説明しなければならないとされています。それができない場合には、不気味なヨソ者とみなされてしまうのです。
 

たとえば、日本では男性が女性を食事に誘ったときに、暗黙の了解で男性が支払い、女性もそれを期待しているとされています。そのため、割り勘を求められた女性が、その場ではにこやかにしつつも、あとからネットなどで「信じられない」と愚痴っているのを見ることはよくあります。


このようなハイコンテクストな文化が度を超すと「せっかくお手洗いに立ったのに、その間にスマートに支払いを済ませておかない男性は駄目」だとか「女性はおごってもらうつもりでも、いったんは財布を出して支払う姿勢を見せるのがマナー」だとか、謎の忖度合戦が繰り広げられます。
 

ところが、ドイツ人男性とデートをした日本人女性によれば、食事のときにストレートに「私はおごってもよいと思っているが、あなたはどう思っているのか。もしおごってほしいのであれば、そう言ってほしい」と言われたそうです。
 

日本人の会議が長引く「本当の理由」とは?


ハイコンテクストとローコンテクストは、ハイ(高)とロー(低)の名前がついていますが、それらはコンテクストの多寡(たか)を表すものであっげ、優劣を示すものではありません。どちらが良い悪いではなく、ただ文化によって表現方法に違いがあるということです。

ありていにいえば、ハイコンテクストの文化は「聞き手中心主義」のコニュニケーションといえます。

ハイコンテクストのコミュニケーションでは、言葉による説明が少ないために、どのように理解するかは聞き手次第になりますから、コニュニケーションの責任は聞き手に委ねられます。そのため、日本では十分な説明をしなかったとしても、理解できない相手のほうを「分からんやつだ」と責める傾向があるのです。

ハイコンテクストの文化では、聞き手はコミュニケーションに参加する前にその集団における明示されないルールを情報収集し、場の空気を読むことに専念しなければなりません。

日本では初対面の人同士で話し合うときに、時候のあいさつなどを交わしながらその場のルールを探り合わねばなりません。そこでは、単刀直入な話は好まれません。会議が長引くのはそのためです。皆がどのような結末を望んでいるかの空気を読んで、予定調和の結末に持っていかねばなりません。
 

「上司より先に帰ってはならない」の終焉!?


一方、ローコンテクストの文化は「話し手中心主義」です。どれだけ丁寧に言葉を尽くして相手に理解させるかが問われるので、コミュニケーションが伝わらなかった場合の責任は話し手にあります。相手が理解できなかった場合は、話し手の表現が悪かったのであり、聞き手が責められることはありません。

話し手は自分の意思をはっきりさせねばなりませんし、相手が理解したかどうかをきちんと確認する必要があります。「言わなくても分かると思っていたのに」は通用しませんから、自分の発言や言動にはしっかりと責任を取ることになります。

たとえば日本では会社に電話をかけて「Aさんはいますか?」と言えば、それだけでAさんに取り次いでもらえます。しかし英語ではそのような場合、通常は「Aさんと話せますか?」と表現します。どちらも慣用句ですが、もしも日本文化に馴染みのない人が電話を取った場合、何を要求されているのか戸惑うかもしれません。

グローバル化時代を迎えて、日本でもハイコンテクストな表現がだんだんと通じなくなってきました。たとえば、ホールが1960年代に体験した日本のホテルの無断の部屋替えも、現代の日本では起こりにくいことだと思います。会社組織においても「上司より先に帰ってはならない」とか「先輩が有給休暇を申請するまでは、後輩は申請してはならない」とか「残業時間が法定時間を超えたらサービス残業にする」とか、そのような価値観が残っていたとしても、「分かっているよな」で言外に強制されることは少なくなってきたように思います。

ハイコンテクストの表現を理解するためには、その場で発せられる言語以外にもさまざまな情報を持っていなければならないため、子どもや外国人などの異文化人に優しくないのです。そのため、最近はおおやけに使われることは少なくなってきました。


ハイコンテクストとローコンテクスト、それぞれの特徴


ハイコンテクストとローコンテクストの、それぞれの特徴は次のようになります。


ハイコンテクストの特徴

①直接的表現を避け、あいまいな表現を好む

例1「いつもお世話になっております。今後ともよろしくお願いいたします」

例2「Aさんってちょっとアレだよね」「あー、うんうん、分かるー」


②すべてを話さないで、行間や紙背を読ませる

例1「君のように優秀な人材は我が社にはもったいない(もっと大手で働いたほうがいいと思うよ)」

例2「誘ってくれてありがとう! 行けたら行くね!」
 

③論理中心ではなく、情緒的表現を好む(論理的飛躍の許容)

例1「我が社はBさんでもっているようなものですから、今回もいいところを見せてくださいよ」

例2「風邪をひいたくらいで休むな。気合いで出社しろ。仕事していれば元気が出る」

ローコンテクストの特徴


①直接的で分かりやすい表現を好む(アメリカのドラマを参考に)

例1「君はクビだ。今日中に荷物をまとめて出て行ってくれたまえ」

例2「私はあなたを世界でいちばん愛しています 

②言葉を重視して、分かりやすい論理で意図を伝える

例1「ターゲットが若者なので、若者に受けるコピーにしました。年配の方には共感されないと思います」

例2「私はトマトが苦手なので、作っていただいたこの料理は食べられません」

③論理中心に直線的でシンプルな表現を好む。寡黙であることは評価されず、論理的飛躍は許されない。

例1「Aさんはマンションを購入して住宅ローンを抱えたので、多少無理を言っても
会社を辞めることはないでしょう。この件はAさんに頼むことにしましょう」
 

例2「今日が人生最後の日だとしても、それをやりたいと思えることであれば、挑戦
する価値はあります」

このように見ていくと分かるように、ハイコンテクストのコミュニケーションは、お互いによく知った間柄で、長年深い付き合いを続けている同士には適しています。

一方、ローコンテクストのコミュニケーションは、お互いのことをあまりよく知らず情報格差があったり、母語がそれぞれ別々で会話に誤解が生じやすかったりする、異文化間コミュニケーションに適しています。


シニア社員と若手社員では、ここまでの「差」がある


ここまで言えば分かると思いますが、シニア人材のマネジメントにはハイコンテクストのコミュニケーションが、若手社員のマネジメントにはローコンテクストのコミュニケーションが適しています。

なぜならば、すでに仕事の経験も豊富で会社の文化にも熟知しているシニア人材は、知っていることをドヤ顏で説明されることを嫌がり、すべてを任されることを好むからです。一方、仕事についても会社についてもあまり知らない若手社員は、逆に何も説明されないことに不安を覚えます。そのため、できるだけ具体的に、仕事の指示内容を説明してあげるのがよいのです。

これが逆になると、最悪のコミュニケーション不全が起こります。若手社員に対して、こちらの意向を忖度して勝手に動くことを求めても、たいていは失敗に終わりますし、シニア人材に対して「あれをしてください、これをしてください」と指示を出すと、「若造が何を言うか」と、相手の機嫌を損ねてしまいます。

*


西村 直哉

株式会社キャリアネットワーク代表取締役社長
人材育成・組織行動調査のコンサルタント 

1961年生まれ。大学院卒業後、人材育成・経営コンサルティング会社を立ち上げ、「人材アセスメント」「組織行動調査」などの各種調査と、その結果に基づく人材育成コンサルティングに約30年以上従事。2012年、株式会社キャリアネットワークが人材教育を基幹事業としたことをきっかけに代表取締役に就任。 キャリアデザイン研修、ダイバーシティマネジメント研修、働き方改革研修など多数の講師実績を持つ。



新型コロナは弱毒化したのか|弱毒化とは?



引用記事は、今、最も関心の高いテーマについてです。周辺事項を丁寧に説明していて全体に分かりやすい。

基本を理解すれば簡単な理屈。

強毒性のウイルスは感染している相手(人)を破壊してしまうので、感染先の人が死ぬと自分も死んでしまい、感染を継続できない。強毒性ウイルスが生き残るには、相手が死ぬ前に感染先を見付けなければいけない。最初の流行で学習した人間側は隔離を徹底して感染機会を与えてくれない。結果、強毒性ウイルスの生存確率は低くなる。

第2波の死亡者が第1波と比べて 少ない理由だ。

しかし、

大事なことは変異性。弱毒化しているウイルスは条件が整えば簡単に強毒化する。ウイルスの持つ戦略は単純ではなさそうだ。

戦略①:

  • 短時間に多くの感染先が存在する環境。 多くの人と短時間で接触する。密集でなくて構わない。移動。これらは強毒化変異を促す筈だ。
戦略②:
  • 長時間潜伏。忘れた頃に発症。これは最初からこの新型コロナの特徴だが、更に静かにさらに長期間の潜伏へ変異している可能性あり。
戦略③:
  • サイレンスキラー。発症しさせないでダメージを残していく。ダメージを与える臓器・ダメージの与え方が直ぐに宿主に致命的なものを回避する毒性。一見、重症化しないから、長期間のウイルス感染状態が続く。
  1. 3つの戦略が同時進行している可能性もある。



⇒|新型コロナウイルス弱毒化の正しい理解?




 

https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/61663

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新型コロナは弱毒化したのか


「東京型」コロナウイルスの出現でコロナとの戦い方は変わるのか
2020.8.12(水)

(作家・ジャーナリスト:青沼 陽一郎)

 今年の夏は、いつもと違う。いうまでもなく、コロナ禍にあるからだ。

 いわゆる水際対策の遅れから、中国湖北省武漢市で昨年12月に確認された新型コロナウイルスが日本に上陸すると、国内で感染が拡大し、4月には改正新型インフルエンザ等対策特別措置法に基づく緊急事態宣言が発出された。その効果もあってか、5月には感染拡大も終息の方向に向かったが、6月から経済活動を再開すると、東京を中心に再び感染が広まっている。

国と地方の方針バラバラで困惑する国民


 東京都では7月に入ると、1日ごとの新規感染者数が100人、200人、300人と増え続け、ついには400人を超えるようになり、8月には3桁を割らない日はなくなった。これに連鎖するように全国でも感染者が急増している。

 しかし、政府は感染予防を呼びかけるだけで無策だ。

 9日に会見した安倍晋三首相は、緊急事態宣言の再発令に慎重な考えを示し、現状について「感染者数の増加に対し、入院や重症化する方々の割合は低い状況が続いている」と言い訳する。菅義偉官房長官も「大事なのは重症者の数だ」と会見で繰り返す。確かに、東京都でピーク時に105人だった重症者が、8月には20人前後で収まっているなど、不思議な状況が続く。それをいいことに、むしろ経済活動を促進させるため、7月に東京を除外してはじめた「Go To トラベル キャンペーン」を継続している。

 この状況に、小池百合子東京都知事は8月3日から、都内の飲食店とカラオケ店の営業を夜の10時までとするように要請。さらには、このお盆の帰省を控えるように呼びかけた。東北をはじめ複数の県知事も、東京からの帰省を自粛するように表明している。ウイルスを持ち込まれたくないからだ。それでも安倍首相は、9日の会見でお盆の帰省は「一律の自粛を求めるものではない」としている。

 国と地方の政策はまったくあべこべになっている。結局、帰省を控えるべきなのか、個人の判断に委ねられることになり、コロナ対策の先行きが不透明になっている。

 ところが、ここへきて“打つ手なし”の安倍政権に、「神風」が吹きそうなことが起きている。

*

https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/61663?page=2


コロナウイルスは弱毒化した?


 国立感染症研究所が今月になって公表したところによると、緊急事態宣言が解けたあと、6月から東京を中心に感染が拡大した新型コロナウイルスは、それまでのものと遺伝子配列が変化している、というのだ。いわば、ニュータイプの「東京型」とでも呼ぶべきウイルスに変容したものが、全国に急拡大しているのだ。

 国内で最初の感染者が見つかったのは、今年1月のことだった。この時は発生源とされる武漢市から持ち込まれたタイプのものだった。この「武漢型」が欧州に伝播すると、そこで遺伝子配列に変化が起こり、3月には欧州からの帰国者が持ち込んだ「欧州型」が、日本国内で同時多発的なクラスターとなって感染が広まった。これに対して、日本は緊急事態宣言で立ち向かい、一旦は収束に向かった。

 ところが6月から、東京を中心にクラスターの多発が見られるようになったウイルスは、ゲノム情報を分析すると、欧州型から突如として変化、拡散したものであることがわかったのだ。

 国立感染症研究所によれば、この新型コロナウイルスの遺伝子配列は、1年間に24.1カ所が変化するとされる。1カ月だと2カ所になる。6月に確認された「東京型」は、3月に国内で確認された「欧州型」から、6カ所が変化していた。3カ月で6カ所だから、この変異のスピードにも合致している。しかも、いまでは「武漢型」は確認できていない。いま日本には第3のタイプが、経済活動の再開と同時に地方出張などによって、全国に拡大していったことになる。

 ただし、遺伝子の配列の変化だけでは、人体にどのような影響の変化をもたらすのか、判断はできない。臨床や疫学調査が必要になってくる。

 そうすると、若者を中心に軽症もしくは無症状で感染が拡大していく現状を照らし合わせると、検査実施数が増えた、あるいは医療現場が修練された、という事情があるにはせよ、全体的に感染力が増して、重症化しにくい傾向にあるようにうかがわれる。

 国立感染症研究所が遺伝子配列の変化を公表する8月5日以前には、こうした状況判断だけで、ウイルスは弱毒化しているのではないか、という声がSNS上であがり、一部で報道もみられた。これに専門家は科学的な根拠はないとして、否定的な見解を示していた。検査数が増え、以前に比べて軽症者や無症状の感染も発見できるようになったため、感染者全体に占める重症者の割合が小さく見えるだけだ、と主張していた。

 だが、それでは重症者の数そのものが減っている説明にはならない。

 だからといって、遺伝子配列の変化がすぐさま弱毒化の証明につながるものでもない。
“旧型”コロナウイルスの感染症は「ただの風…

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https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/61663?page=3

 しかし、もしも実際にウイルスの変化によって重症化しにくくなっているのならば、「大事なのは重症者の数だ」と繰り返して、経済活動の再開を推し進めた政府の方針には追い風となる。

 いや、それどころではない。感染者が多くても、重症化しにくく、軽症もしくは無症状で済んでしまうとなると、もはやこれは「ただの風邪」のレベルになってしまう。

“旧型”コロナウイルスの感染症は「ただの風邪」


 新型コロナウイルスというだけに、旧来のコロナウイルスも存在する。それが4つのタイプがあった。そこにSARS(重症呼吸器系症候群)が加わり、次にMERS(中東呼吸器症候群)が加わって、今回で7つ目のコロナウイルスが確認されたことになる。旧来の4つのタイプに感染すると、これが「風邪」の症状となって現れる。もちろん「ただの風邪」といってもこじらせると肺炎にもなるし、生命の危機に瀕することもある。

 新型コロナウイルスが変異を繰り返して、勝手に弱毒化して、ただの風邪と同じことになってしまえば、後手後手にまわり、いまやほぼ無策ともいえる政府方針に味方することになる。ただの風邪が「カミカゼ」に変わる。戦後75年の夏に吹く「神風」だ。

 ただ、それで済まされることだろうか。ウイルスは変異する。1カ月に2カ所の遺伝子配列が変わる。それが突如として強毒化する可能性も秘めている。その時に、無策であっていいはずもあるまい。




⇒|新型コロナウイルス弱毒化の正しい理解?



COVID-19, 新型コロナウイルス弱毒化の正しい理解?






新型コロナウイルス弱毒化の正しい理解?


強毒化しても弱毒化しても、

それはウイルスの1つのインスタンスに過ぎない。

一喜一憂するのは馬鹿げている。



全くの素人でもニュースなどの情報から推定できることがあるかも知れない。

コロナウイルスは変異が容易な特性を持つ。

DNAと違ってRNAは複製時のエラー率が高い。

増殖に当たって作り出すコピーでコピーミスが発生しやすい。

似て非なるものを次々と作り出す。

突然変異の進化論と同じだ。

変異ウイルスの特性によって、環境適合性が弱くて直ぐに消滅するものと、適合性が強くしっかり生き残るもの。

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強毒性ウイルス:
  • 強毒化したウイルスそれ自体は環境適合性が強く増殖も活発になるが、宿主が死亡したり、隔離されたりして感染機会を失う。
  • 感染機会を残すために、発症に時間を要する長潜伏型が優位になる。
弱毒化ウイルス:
  •  弱毒化すると、宿主は無警戒だから、感染を継続できる。感染病の主役になれる。
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リスク&オポチュニティ

重症化・死亡の患者が少ない理由を推定すると、強毒性ウイルスは宿主と一緒に死んでしまうから、生き残ることは難しい。ウェーブ1の強毒型ウイルスは死滅した。

逆に弱毒性は強い感染力で生き残っている。

弱毒性がいつ強毒性に変異するか、誰も分からない。いつでもありうること。

弱毒、強毒のコントロールのほかに潜伏期間のコントロールもある。

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強毒化ウイルスの戦略

潜伏期間のコントロール。十分な潜伏期間を置けば駆除されず感染を継続できる。十分な潜伏期間とは、胞子・種の振る舞い。

軽症無症状ウイルスに一時的に変異すること。

宿主の密集・密交換時に強毒と強感染に戻ればいい。多分、頻繁な宿主間移動が鍵になっているだろう。

短時間に長距離を移動すると変異を促す。強毒化を促す。種・胞子状態から発芽するトリガーになる。

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結論:

弱毒化の議論は無意味。単に休んでいる状態だ。爆弾に化ける(戻る)タイミングを待っているだけ。

刺激しないこと。それには感染しないこと。移動しないこと。接近しないこと。宿主の量を感じたら強毒化する。

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